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真壁伸弥のラグビー人生に乾杯!
「羽ばたけ」から始まった縁とW杯。 

text by

生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph byAsami Enomoto

posted2019/12/26 20:30

真壁伸弥のラグビー人生に乾杯!「羽ばたけ」から始まった縁とW杯。<Number Web> photograph by Asami Enomoto

2015年W杯ではケガを乗り越え、南アフリカ戦のピッチに立った真壁伸弥。力強いタックル、ランで観客を沸かせ続けた。

心の洗濯をして、どうにか戻れた。

 その鉄人・真壁もW杯イヤーの2015年2月27日のトップリーグ・プレーオフ決勝でハムストリングを負傷。大きな2本の筋肉のうち、1本が完全に断裂していた。手術するとなると、復帰までに1年はかかる。そこで真壁はリハビリでW杯出場を目指した。

 どうにか代表の練習に復帰すると、真壁はコーチ陣から「モルモット」のように扱われた。

「FWコーチのスティーブ・ボーズウィック、ストレングスコーチのジョン・プライヤーが、練習前に、僕を使って練習の強度が適切かどうか実験をするんですよ。人間の限界点を知るために(笑)。でも、彼らが偉かったのは僕にやらせるだけでなく、一緒になってトレーニングをしてくれたこと。ヤツらはコーチというより、仲間でした」

 しかし、「地獄のような日々」が続いた2015年6月の宮崎合宿で、真壁は限界を迎える。

「もう、メンタル的にヤバかったですね。追い詰められてしまい、エディー(・ジョーンズ、当時代表HC)さんのところに相談に行ったんです。もう、W杯も諦めるつもりになっていました。それを素直に話したら、『分かった。1週間休んで自分の時間を作りなさい。何もしなくていいし、こちらからも連絡しないから』と言ってくれたんです。サントリー時代から、僕は弱音を吐いたことがなかったので、エディーさんもよっぽどのことだと感じてくれたんじゃないでしょうか。たしか、メンバーたちは試合だったと思いますが、僕だけは日本国内の某所で心の洗濯をいたしまして(笑)。それでどうにか戻ることができました」

エディーさんは「ヒントおじさん」。

 真壁はサントリーでもエディーの薫陶を受けたが、他にも多種多様な指揮官の下でプレーした。

「僕は指導者には恵まれましたね。サントリーでは最初は清宮(克幸)さん、そしてエディーさんが来て、大久保直弥さん、最後は沢木さんでしたから。これで上手くならなかったら、見込みがないってことです。清宮さんは僕を自由にさせてくれましたね。あと、エディーさんは、僕が何か相談したり、意見を言うと、意外な答えが返ってくるのが面白かった。僕からすれば、『ヒントおじさん』。人をよく観察しているので、面白いアドバイスをくれるんですよ。ジャパンの宮崎合宿の時も、まさか休みをくれるとは想像してませんでした。エディーさんはもちろん厳しい人ですけど、予想外の方向から選手に刺激を与えてくれる人でした」

 ラグビー人生のハイライトは、やはり2015年のW杯の南アフリカ戦。

「人生でいちばん楽しかったなあ。めちゃくちゃいいタックルを連発してました。タックルしたい! と本気で思ってましたから」

 カーン・ヘスケスが左隅にトライをした瞬間、真壁は逆サイドに残っていた。

「なんだかもう、すごかったですよ。僕は左隅の喜びの輪には入り損ねて、右サイドの方でダミーで走り込んでいた五郎さん(五郎丸歩)に、『五郎さん! やった!』と抱きついてました」

【次ページ】 大好きなラグビーとウィスキー。

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