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真壁伸弥のラグビー人生に乾杯!
「羽ばたけ」から始まった縁とW杯。
posted2019/12/26 20:30
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Asami Enomoto
鉄人の引退。
サントリー、そして日本代表として37キャップを持つロックの真壁伸弥が、今季トップリーグの開幕を前に引退を表明した。
日本ラグビーの歴史を変えた2015年のワールドカップ、南アフリカ戦で勝利の瞬間にピッチに立っていた15人のひとり。ケガにもへこたれず、いつも体を張っていた姿に、“鉄人”という言葉を連想してしまうのは私だけだろうか。
しかし近年は、不整脈の症状に悩まされ続けていた。
「実は2015年以降、練習中にAEDのお世話になることが頻繁になってまして。練習で倒れると救急車で搬送され、病院で様子を見ることになります。そうなると、僕だけじゃなくスタッフの時間も1日潰れてしまうんです。当然、練習を抜けてしまうので、みんなと同じメニューはこなせない。前監督の沢木(敬介)さんは、それでも僕を使ってくれたんですが、どうにも納得のいくプレーができなくなっていました」
真壁は、サントリーでの身の振り方を悩み続けていた。
「僕がプレーしたのは11シーズン。その間にクラブとしてのカルチャーが醸成され、サンゴリアスは強くなければならないクラブになりました。だとしたら、僕のような選手は必要ないと思いました。人生、ラグビーだけじゃない。幸い、僕はサントリーに入ってウィスキーの世界に魅せられました。2019年のシーズンを終わってやり切ったという実感もあって、W杯イヤーは切りもいいし、引退することに決めました」
真に受けたのは真壁だけ。
真壁がラグビーと出会ったのは、仙台工業高校時代のこと。それも偶然の産物だった。
「僕、高校に入学した時はバスケ部だったんですよね。でも、雰囲気が合わなくて辞めてしまって。そんなときにラグビー部の滝井隆太先生が体格を見て一発で誘ってくれたんです」
ラグビーという競技、そしてラグビーの仲間が性に合った。ラグビー部には「非体育会系」ともいうべきオタクがそろっていた。
「みんな、面白い連中でした。ハッキリ言ってインドア派系ラグビー部(笑)。それに先生が『真壁、お前は世界に羽ばたく人材だ! 日本代表を目指せ』と言ってくれたんです。県内では仙台育英が強くて花園には手が届きませんでしたが、僕は先生の言葉を真に受けて、日本代表になるために東京の中央大学に進みました。でもこの前、滝井先生と飲んだら、『世界に羽ばたけっていうのは、みんなに言ってたんだよ。真に受けたのは真壁だけ』と先生が言うので、おいおい、となりましたけど(笑)」