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松本の街を変え、自らも変わったDF。
飯田真輝がトライアウトで語る胸中。
text by
海江田哲朗Tetsuro Kaieda
photograph byTetsuro Kaieda
posted2019/12/23 19:00
松本山雅の最終ラインを手堅く支えた飯田真輝。トライアウトでのプレーぶりを見れば、まだまだやれる。
「ああ、松本を離れるんだな、と」
チーム強化の責任者は短期的な目標達成を試みる一方で、持続的な成長を可能にするグランドデザインを描いていかなければならない。
「今回の判断は、断腸の思い。現状、J1に2回上がり、2回とも1年で降格しています。松本における当面のテーマは、新旧交代を進めつつ、J1に残せるチームづくりを進めることです。バランスに注意しながらこの2軸を動かし、成長していけるサイクルに持っていく必要がある」
飯田自身は契約満了の理由について詳しく訊こうとしなかった。この1年間、もとい松本で積み重ねてきたすべてのシーズンで、自分の持っているものは余さず伝えてきた自負がある。望んだ結末ではなかったが、プロとしてクラブの判断を受け入れた。
「自分のすべてを出し切ったので納得はしています。今季、一番よかったのはそこですね。クラブの話を聞き終えて思ったのは、ああ、松本を離れるんだな、と」
ここで、飯田は12年間のプロ生活で初めての局面と遭遇する。選手を続けていくために、次にどんな行動を起こすべきか、ぱっと頭に浮かばなかったのだ。
契約交渉を人任せにせずに。
2008年、指導者が用意するレールに乗せられ、流通経済大から東京ヴェルディへの加入が決まった。そこに自分の希望や意思が介在する余地はなかった。だからこそ、ひとりの社会人として歩み始めた以降の飯田は自ら考え、選び取っていくことを重要視した。
よって、契約交渉は人任せにしない。仲介人がその仕事を請け負い、可能性を広げる存在であることは理解していたが、そもそも必要性を感じなかった。プロ1年生から仲介人と契約するのが当たり前の昨今、チームの主軸クラスの選手でこの取り組み姿勢は大変珍しいことである。
「自分にとって契約の話し合いはお金のことだけではなく、年に一度、言いたいことをオブラートに包まず意見交換できる場。もっとチームをよくするために何ができるか。松本は新しいクラブでしたから、話すことはいくらでもありました。
今回、知り合いの選手を通じて、次の移籍先を見つけるために初めて仲介人の方に協力してもらっています。トライアウトに参加してアピールを強めることもその流れで決めました」