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バレー福澤達哉、二度目の海外挑戦。
自身の野望と覚悟を「言葉にする力」。 

text by

田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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photograph byTakahisa Hirano

posted2019/12/24 11:00

バレー福澤達哉、二度目の海外挑戦。自身の野望と覚悟を「言葉にする力」。<Number Web> photograph by Takahisa Hirano

2015年のブラジルに続き、自身ニ度目の海外生活。妻は「今しかできないことだから」と送り出してくれたという。

石川らを見ても「今は全然」

 ただ漠然と続けるのではなく、その年に三冠を獲り、代表に選ばれなかったら辞める、と制限も設けた。それができなければ、自分の限界。これが最後、と将来のことは一度忘れ、クリアな目標を掲げると、至ってシンプルな感情にたどり着いた。

「日本のため、チームのため、じゃなく、自分のためにやろう、と。日本のために、と思って力を発揮できる選手もいるけれど、僕は力みにつながって空回りして、プレッシャーを消化できなかった。でも自分のために戦う以上、結果が跳ね返ってくるのは自分。ならば自分の戦い方はこれ、考え方はこう、と整理をつけるようになったらバレーボールがどんどん楽しくなってきたし、(今は)もっとこういうプレーができるんちゃうか、もっとうまくなりたい、とバレーボールを始めた時と同じ感覚、シンプルな向上心、興味しかないんです。

 だから石川や西田を見ても、以前の自分だったら悔しいとか、『俺もこうならなきゃ』と思っただろうけれど、今は全然。ただただ、頼もしいな、すごいな、って思うだけですよ」

 日々の練習、目の前の試合。1つひとつクリアすべき課題があり、常にプレッシャーと直面する状況に変わりはない。だが、やる、と決めてからは迷いもなくなった。

勉強もスポーツもプランニングが必要。

 何より、物事を計画的に運ぶ準備をすることは嫌いじゃない。

 ルーツを遡れば、学生時代からそうだった。大半が高校進学時に「全国大会に行きたい」とバレーボールでの実績を第一に進路を決める中、福澤は違った。選んだのは当時バレーボールの名門校ではなかった洛南高校で、しかもスポーツクラスではなく普通科へ進学。

「斜に構えていたんで(笑)、バレーだけやっておけばいい、というスポ根が嫌いやったんです。模試で毎回点数を取るのは難しいけれど、スポーツ馬鹿と思われたくなかったから、内申点だけはきっちり取ると決めて、中間、期末はきっちり勉強する。そのためには当然、プランニングが必要です。今日はこれをやろう、明日はこれをやる。当然寝たいし、マンガを読みたい、テレビも見たいけれど、必ず“ここまでやるまでは終わらない”と決める。その過程って、勉強だけじゃない。そのまんま、スポーツも同じなんですよ」

 苦手なことをやり続けるのは難しい。けれど、逃げずにやり抜けば結果も出る。苦手だった日本史のテストで学年トップクラスになったように、弱点とされていたサーブレシーブも同じ。アンダーハンドだけにこだわるのではなく、オーバーで取るべく練習を重ね、そのためにこのトレーニングを取り入れて、自主練習をして、と地道なプランニングをした成果が、今、花開き、今秋のワールドカップでも日本代表に福澤の働きは不可欠なものだった。

 今はジャンプだけ、など誰も言わない。オーバーハンドでのサーブレシーブも、福澤が緻密なプランニングと努力の末に培った、立派な代名詞の1つだ。

【次ページ】 33歳、挑戦の裏にあった覚悟。

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福澤達哉

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