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火付け役はフラメンゴのジェズス。
ブラジルは空前の外国人監督ブーム。
text by
下薗昌記Masaki Shimozono
photograph byMasaki Shimozono
posted2019/12/21 09:00
フラメンゴの選手に熱く指示を送るジェズス監督。彼のような外国人監督が増え、ブラジルサッカーも変わるのかもしれない。
名将チッチに注文がつくブラジルで。
今はブラジル代表を率いるチッチがコリンチャンスの監督としてクラブワールドカップで来日した2012年のひとコマだ。
当時、堅守速攻で南米王者に上り詰めたコリンチャンスの戦い振りを取材に訪れたクラブのレジェンドの1人、ネット氏がこう吐き捨てたのを筆者は覚えている。
「こんな戦い方はコリンチャンスの本来のスタイルじゃないね。これはチッチ自身のスタイルだ」と。
結果的にチェルシーを1対0で下し、世界一に導いた指揮官でさえ、万人が納得することはないブラジルサッカー界。外国人監督が南米王者に輝くのはジェズスが大会史上2人目だが、ブラジルのクラブでは初めての快挙だった。そんなジェズスに対しては、クラブのレジェンドたちも手放しで高い評価を送るのだ。
クラブのレジェンドも感謝しきり。
チームに同行しているレアンドロ氏はその1人である。ジーコ氏とともに1981年のトヨタカップで世界一に貢献。1982年のスペイン大会でも右SBとしてプレーしたブラジルサッカー史に残る名手は、古き良き時代の王国の薫りを未だに忘れてはいない。
そんなレアンドロ氏はフラメンゴがドーハ入りしてから初めて練習を行った12月15日、大勢のブラジル人記者らに囲まれ、ラフィーニャと似た言葉を口にした。
「ジェズス監督については、誰もが思っていることと同じ見解を持っているよ。我々にとってありがたいサプライズだったね。1人のフラメンゴサポーターとして彼の仕事ぶりに感謝しているし、彼がこの先もフラメンゴに残ってくれることを期待している。ただ、それはフラメンゴのためだけでなく、ブラジルサッカー界全体のためにでもあるよ」
ブラジル人がこよなく愛する概念が「フッテボウ・アルテ」。栄冠には手が届かなかったものの、今は亡きテレ・サンターナ監督が率いたスペイン大会のカナリア軍団が愛されるのは、その芸術性ゆえである。
美しさと勝利の二兎を追いかけてきたはずのブラジルサッカー界だったが、近年、その理想を追い求めるクラブは減る一方だったのが現実だ。
そんなサッカー王国の風潮に風穴を開けたのがジェズス監督だった。