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五輪の理念を体現してきた伝統競技。
IOCにマラソンへの敬意はあるか?
text by
金哲彦Tetsuhiko Kin
photograph byAmilcar Orfali/Getty Images
posted2019/11/24 09:00
IOCのトーマス・バッハ会長。IOCの一方的な開催地変更の決定にはアスリートからも疑問の声が上がっている。
人々をひとつにする競技。
世界平和を標榜するオリンピックにふさわしく、マラソンがもたらす独特の感動体験で人々をひとつにする競技として創設された。
勝敗だけでなく、たとえビリでも42.195kmの長丁場を懸命に走るランナーには惜しみない拍手が送られる。現在のマラソンにもその真心と称賛は根付いている。
マラソンの成り立ちを少し斜めから見れば、クーベルタンたちがオリンピックを盛り上げるため編み出した演出かもしれない。だとしても、マラソンがもたらす感動や真心は現在まで連綿と受け継がれ、いまや世界中に浸透している。オリンピックという枠を超えて、マラソンはその存在意義を深めたのである。
マラソンにリスペクトはあるか。
大規模なイベントである以上、金はかかる。オリンピックビジネスに異論はないし、オリンピック憲章を遵守するIOCの判断も理解できる。問題は、競技運営のしやすさや方法論ばかりにエネルギーが注がれる現状だ。
世界の人々をひとつにするという、オリンピックでマラソンが生まれた背景がいつか忘れられていくのではないかという危惧である。IOC発言の根っこに、マラソンに対するリスペクトがもう少し感じられたら、こんな気持ちにはならなかった。
万が一、この種目が「42.195km」という名称に変わるなら、オリンピックで行う必要はない。
歴史が紡いだ「マラソン」という長い道のりを世界各国の選手たちが懸命に走る。
その、人間らしいありのままの姿に世界の人々が感動し、共感し、認め合い、心根がつながる。
それが、最終種目としてメインスタジアムでフィニッシュするマラソンというものだったはずだ。