今日も世界は走っているBACK NUMBER
五輪の理念を体現してきた伝統競技。
IOCにマラソンへの敬意はあるか?
posted2019/11/24 09:00
text by
金哲彦Tetsuhiko Kin
photograph by
Amilcar Orfali/Getty Images
マラソンが混迷している。
猛暑を考慮したアスリートファーストという決定理由で東京から札幌に会場を移す。しかし、日程、コース、スタート時間など肝心なことは未だに決まらない。
東京と札幌のどっちが暑いか、日陰があるか、どちらのコースが走りやすいか。誰に先に言ったのか、誰に責任があるのか。そんな議論をするつもりはない。
マラソンをライフワークにしてきた私が一番心配していること。それは、これからオリンピックのマラソンはどこに向かうのか?という本質的な問題である。
今回の騒動は、IOCの言う「暑いからリスクを回避して場所を変える」という単純な話ではないように思えるのだ。
他の競技を一線を画す「マラソン」。
「マラソン」という名の由来を再確認しておきたい。
陸上競技の種目は、100m、幅跳び、ハンマー投げなど、名称がその競技が何であるかを端的に表している。
しかし、マラソンは違う。
100mには「距離」という意味があるが、マラソンはアテネ郊外にある小さな村の名前であり、そこに意味はない。
マラソンが誕生したのは近代オリンピックが始まった1896年。フランスの教育者ピエール・ド・クーベルタン男爵らによって提唱され、第1回アテネオリンピックは古代オリンピック発祥の地ギリシアで開催された。
実施競技は、陸上競技、競泳、体操、レスリング、フェンシング、射撃、自転車、テニスなど、当時ヨーロッパで行われていた競技である。マラソンは、それらの種目と一線を画している。
フランスの学士院会員ブレアル教授が、ローマ時代にプルタルコスが記した伝記『英雄伝』に登場する故事をモチーフに、その感動的な美談を1つの種目として近代に蘇らせたのだ。
―――
紀元前490年、小さな古代ギリシアの国が10万の兵を擁する大国ペルシアに奇跡的に勝利した「マラトンの戦い」。フェイディピデスという伝令が勝利を伝えるためアテネまでの約40kmを走って息絶えた。
―――
マラソン村から走ったということで、つけられた名が「マラソン」。つまり、感動秘話が込められた名称なのである。