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三浦隆司の人生を変えたKO負け。
米年間最高試合の後に起こったこと。
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byTakashi Shimizu
posted2019/11/21 17:00
やわらかい表情の中に、瞬間的にファイターの顔が出る。三浦隆司はボクサーの佇まいを残していた。
内山高志にKO負けしていなければ……。
三浦は再起する。
負けたから。悔しかったから。それは間違いではないが、カムバックの理由を語るにはあまりに言葉足らずだ。
本人によれば、三浦を再びリングに向かわせた最大のトリガーは、バルガス戦がアメリカで年間最高試合の評価を受けたことだったという。
そのことも含め、ここからの三浦の話は意外な展開を見せる。
キャリアに2つあるKO負けの意味を問うたとき、三浦はまず、1つ目の経験をこう言葉にした。2011年1月、内山高志のジャブをもらい続けて視界をほとんど失い、第8ラウンド終了後のインターバルで自ら棄権を申し出た試合だ。
「あれがなかったら、帝拳に来て(内山戦の後に移籍)、世界チャンピオンになることはなかったかもしれない。スタイルを考え直す、いいきっかけになった試合でした。あの負けがなければ、いつまでもディフェンスの意識が甘いままだったかもしれません」
他者からの評価で価値観が変わった。
そして2つ目のKO負け、バルガス戦を振り返るとき、三浦は「話が矛盾するんですけど……」と苦笑しつつ前置きした。
「ああいう戦い方で、海外からの評価が高くなった。海外でやるにはお客さんを楽しませるのがいちばんなのかなって、そんなふうに考えるようになりました。それでディフェンスも多少ザルになった部分もあったかな。矛盾しますよね」
三浦は元来、他者からの評価に無頓着なボクサーだった。ファンやメディアにどう思われようが、「自分は自分」と考えていた。ところが、アメリカで白熱のファイトを繰り広げ、それが高い評価を得たことで価値観が変わったのだ。
照れたような表情を浮かべ、三浦は言った。
「アメリカに行くと、ファンからサインや写真をすごく求められるんです。そういうの(ヒーローのような気分)を味わっちゃいましたね。日本じゃ、ほとんど何もないんですけど」
秋田育ちの素朴な男は、バルガス戦を境に、ショウマンシップを意識し始めた。それは同時に、欲の現れでもあった。
「アメリカで人気が出れば、また上に行けるんじゃないか。ファイトマネーにしても上がるんじゃないか。そういう欲っていうのかな、ありましたよね」