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白覆面の魔王の必殺技「4の字固め」。
ザ・デストロイヤーが残したもの。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2019/11/19 11:40
1993年7月28日、引退試合の1日前、馬場との最後の戦いを終えたデストロイヤー。互いに満身の笑みを浮かべて抱き合った。
なぜデストロイヤーは日本で多く戦ったか?
デストロイヤーは1972年から'79年まで家族と東京の麻布に住んでいた。六本木あたりを歩いていると、何度かデストロイヤーと会うことがあった。デストロイヤーは白覆面越しに大きく笑って声をかけてくれた。
デストロイヤーが日本のリングを選んだのには訳があった。
ニューヨークでは当時、覆面を被って試合をすることが禁止されていたのだ。素顔をさらせばデストロイヤーでなくなってしまう。ミネアポリスでバーン・ガニアから黒覆面のドクターXとしてAWA世界王座を奪ったこともあった。だが、白覆面のデストロイヤーとしての主戦場はカリフォルニアやテキサスに限られていた。
デストロイヤーは初来日に時から、とても周りから親切にしてもらって日本が好きになったという。日本を離れた後も、その好きになった日本の良さをアメリカの子供たちにも伝えたいと、毎年、ちびっ子レスラーやスイマーを引き連れて来日し、日米交流に積極的だった。
あの鉄人ルー・テーズもデストロイヤーのことは高く評価していた。おそらくリチャード・ジョン・ベイヤー(本名)がちゃんとレスリングができる選手だったから認めていたのだろうが、もし素顔のベイヤーのままだったら、デストロイヤーのようなインパクトは残せなかっただろう。それほどデストロイヤーという覆面レスラーのキャラクターは時代にはまったのだ。
みんな今でもデストロイヤーが大好きなのだ。
デストロイヤーは知的で科学的なレスリングを見せた。
身軽で抜群の跳躍力があった。
小気味いいドロップキック、ダブル・ニースタンプ。そして、トレードマークの白覆面は引っ張られるとよく伸びた。時には覆面の中に大きな凶器を入れて頭突きを放つこともできた。その覆面は、後に素材も変わってアディダス社製のものになったが、当時はウィルマ夫人が女性下着のガードルから作ったものだった。
リングの内外を問わず、彼の4の字固めの人気は絶大だった。
足4の字固めは多くのレスラーに継承された。この追悼試合のメインイベントに登場した武藤敬司も4の字の使い手だ。1995年10月9日に超満員の東京ドームで、高田延彦からギブアップを奪ったのが4の字だった。ファンはあの試合で4の字の凄さと痛さを再認識することができた。
IQレスラー桜庭和志もデストロイヤーを意識したのか、つい最近11月2日のノア両国大会で一味違った4の字を決めている。
11月15日、追悼試合の6人タッグマッチに出場した武藤はKAIを4の字に捕らえると、右手の人差し指を突き上げた。
天国のデストロイヤーへ送るメッセージだった。
気がつくと獣神サンダーライガーもBUSHIに、宮原健斗もSANADAに4の字をかけていた。世代は違っても全員の思いは、きっと1つだったはずだ。
「デストロイヤー、イチバン!」