プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
白覆面の魔王の必殺技「4の字固め」。
ザ・デストロイヤーが残したもの。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2019/11/19 11:40
1993年7月28日、引退試合の1日前、馬場との最後の戦いを終えたデストロイヤー。互いに満身の笑みを浮かべて抱き合った。
みんなが真似した足4の字固め。
「足4の字固め=フィギア・フォー・レッグ・ロック」という脱出不能の足殺しを武器にデストロイヤーはスターダムにのし上がった。私はこのカタカナの技の名前がなんかおしゃれで好きだった。
幼かった頃、力道山の次にドキドキ、ワクワクしたレスラーは、白覆面の魔王“ザ・デストロイヤー”だった。画用紙やノートに鉛筆やクレヨンでデストロイヤーの「4の字固め」をどれくらい描いたことだろう。なんかマスクのデザインが宇宙人のように思えた。白マスクの輪郭を書いて、縦線を一本通して、赤色で目と鼻と口の縁取りを4つの楕円形のように描けば、デストロイヤーは簡単に出来上がった。
プロレスごっこのワザでやってみたかったのが、足4の字固めだった。形はわかったが、子供にはかけ方が少し難しかった。やり過ぎると相手は悲鳴を上げた。力道山の役は大変だった。痛くて涙が出そうでも力道山になるには4の字の痛さに耐えるしかなかった。
白黒テレビでも大迫力だった伝説の死闘。
コワルスキーに張り手を浴びせてから1週間後の5月24日に東京体育館で行われた力道山vs.デストロイヤーのWWA世界戦は白黒のブラウン管の記憶だが、今でも忘れられない。
足4の字固めもさることながら、力道山の空手チョップで歯が折れたデストロイヤーの白覆面がその血でどす黒く染まっていくシーンは、モノクロームの世界だったが印象深かった。
試合は、金曜日夜8時から日本テレビが生中継していたが、通常の放送枠では収まらず、放送は試合終了まで延長された。
足4の字固めに捕らえられた力道山は、4の字地獄から脱出できなかったが、ギブアップもしなかった。壮絶な我慢比べになったが、レフェリーのフレッド・アトキンスは痛み分けということで試合を止めた。視聴率は64%を記録したが、残念なことにこの試合の映像は技術的な問題で日本テレビに残っていない。当時、生中継の画像を残すには、モニターをフィルムで撮影する必要があったという。