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白覆面の魔王の必殺技「4の字固め」。
ザ・デストロイヤーが残したもの。
posted2019/11/19 11:40
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
「ザ・デストロイヤーメモリアル・ナイト~白覆面の魔王よ永遠に~」と題した追悼試合が、11月15日、大田区総合体育館で行われた。
デストロイヤーは今年3月7日、アメリカ・ニューヨーク州アクロンの自宅で亡くなった。88歳だった。2017年には長年に渡る日米青少年交流への貢献に対して旭日双光章を受けていた。
ゆかりのレスラーの多くはもうすでに天国に旅立っている。デストロイヤーと大きな試合を戦ったレスラーは本当に少なくなってしまった。
大学院卒のインテリで賢いレスラーだった。
「ジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤー」という長いリングネームをデストロイヤーは好んだ。シラキュース大学の大学院で修士課程を終えているからマスターだ。そんなデストロイヤーが日本プロレスのリングに姿を現したのは、1963年5月17日、東京体育館で行われた第5回ワールド大リーグ戦決勝のリングだった。
ここで、背広に白覆面といういでたちのデストロイヤーは、これから力道山と決勝戦を戦う長身のキラー・コワルスキーに張り手をくらわした。コワルスキーと言えば、ニードロップでユーコン・エリックの耳をそぎ落として、殺人鬼の異名さえあった。そのコワルスキーをこのビンタ1発で食ってしまった。
背広に白いマスクをつけたデストロイヤーは、「何者だ?」と思わず周囲に思わせる恐ろしい雰囲気があり、自信に満ち溢れすごく格好良く見えた。
当時、ロサンゼルスやサンフランシスコといった西海岸地区で勢力を拡大していたWWAのリングで、デストロイヤーは、あの噛みつきの吸血鬼フレッド・ブラッシーを破って、初の覆面世界チャンピオンになっていた。そして、東京で力道山の挑戦を受けることになった。
力道山はブラッシーと前年までWWA王座を争って遺恨があった。デストロイヤーはそのブラッシーを破った男で覆面をつけているのだ。