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「楽しんできます」はどうして妙か。
アスリートの抱負の聞き方、答え方。
text by
堀井憲一郎Kenichiro Horii
photograph byAFLO
posted2019/11/17 11:00
出発するアスリートに意気込みを聞く、というやりとりは定例になっている。その応答もアップデートしたいものだ。
質問と答えが噛み合っていない問題。
それは、国の代表だから、というプレッシャーをかけることになる。まあ、国の代表なのだからそれぐらい受けて立ってもらうしかないのだけれど、それによってパフォーマンスが落ちると考えるタイプもいるだろう。放っておいてくれ、私は国の代表として行くのではなく1人の人間として戦うのだ、と考えて試合に臨みたいアスリートたちだ。
そのとき「楽しんできます」というコメントが有効になる。
ただ。
「世界大会に臨む意気込みを聞かせてください」
「はい、楽しんできます」
これでは会話が成り立っていない。
楽しんでくるのは、個人の心構えの問題であって、見てる者たちが立ち入れる部分ではない。関わる部分でもない。
見てる者は、選手のパフォーマンスしか確認できず、そのときの心情まではわからない。
でも敢えてそういう方向で答えてくる。
それはたとえば、急ぎ足で歩いてる知人に「どこへ向かわれているんですか」と聞いたら、「膝をよく曲げることを考えて歩いています」と言われたようなものなのだ。そんなことは聞いてません。
もしくは「お母ちゃん、今日の晩ごはんはなに?」と聞いたときに「今日は右手だけで作るのよ」とお母ちゃんが答えたようなもので、いや、お母ちゃん、そんなこだわりはどうでもいいから、何ができるのかが知りたいんだけど、とおもわせてしまう。
「楽しんできます」の違和感は、この「聞いたことに答えてくれない」という姿勢にあるとおもう。聞いたほうが予想している答えが返ってこない。
期待感への抵抗でもあるのか。
それはある種の軽い抵抗でもあるのだろう。
聞いている側は、期待を持っている。
前提として「われわれの代表であるあなたから期待に応えるようなコメントを聞きたい」というような気分が含まれている。
ただずっと応援していたわけでもなく、その競技をよく知らず、ついさっきちょっとだけ興味を持った、というような人もいるだろう。
アスリートがそんな人たちもの期待に応えるつもりはない、という気分になるのもしかたない。「期待なんかかけないでください」という選手もいるはずだ。「国民の期待なんてものを背負わされたら苦しむだけです。だから“期待に応えるようがんばります”とは言いたくないんです」という気持ちになってもしかたがない。
それでも無理してウソをつくのが世間慣れした世渡りというものだが、「楽しんできます」と答えればウソをつかなくてすむ。たぶん若いアスリートたちは、そういうところが痛々しいほどに真面目なのだろう。そうでないとトップ選手になれない気がする。
だから「楽しんできます」が流行りだし、定番化してしまった。
言葉に潜む“ちょっとした拒絶”を感じさせる選手もいる。
そういうことではないだろうか。