スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
イングランドはなぜ敗れたか。
エディーを飲み込んだラグビーの力。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byNaoya Sanuki
posted2019/11/09 20:00
ラグビーへの愛が充満したW杯で、イングランドだけが異なる戦い方をしていたと考えることで見えてくるものがある。
子どもを抱えて笑顔で話す選手たち。
かつて野球のブルックリン・ドジャースの選手たちのことを書いた「ボーイズ・オブ・サマー」という本があった。
夏の少年たち。
今回、3位決定戦でオールブラックスの選手たちが見せた表情、躍動にこんな言葉が思い浮かんだ。
冬の少年たち。
彼らはラグビーを心底楽しんでいた。
そしてスタジアムでは分からなかったが、帰宅してから映像で確認してみると、試合終了後に素晴らしい光景が見られた。
ウェールズのフッカーが子どもを抱えながら、オールブラックスのフッカーと笑顔で語らっていた。
グラウンドのあちこちで握手と笑顔の輪が出来ていた。そしてスティーブ・ハンセンは感極まった表情でインタビューを受けていた(彼は準決勝敗退後の記者会見で、負の感情を露わにしていた。彼ほどの人物でもさすがに動揺していたのだと思う)。
表彰式でも、オールブラックスの面々は銅メダルを笑顔で受け取っていた。
そしてウェールズのヘッドコーチ、ウォーレン・ガットランドもこの試合が最後の指揮となった。彼も穏やかな表情で選手ひとりひとりと握手を交わしていて、その様子がなんとも風情があった。
ウェールズのチームへの忠誠心、人間同士の深い絆、そしてなにより「いたわり」がそこにあった。
失意のなかで戦った両チームだったが、4年間という時間を共に過ごした「年輪」が、浮かび上がっていた。
成熟した選手にしか負けは受け入れられない。
その根底にあるのは、なんだったのか。
「ラグビーでは勝つこともあれば、負けることもある」という大前提を、両国のカルチャーが受け入れていることではないか、と感じた。
オールブラックスが敗れてから、ダン・カーター、ジャスティン・マーシャルといったかつての名選手と仕事で一緒になる機会があったが、彼らは必要以上に悪びれることなく、
「永遠に勝ち続けることは出来ないし、こういうこともあるんだよ」
といった趣旨のことを話していた。
ただし、負けを受け入れることは、成熟していないと難しい。
高校生に同じようなふるまいを要求するのは無理だ。彼らは同じクラブのなかで完結している。仲間同士で泣き、慰めればいいのだ。
取材の経験上、大学生も難しい。敗れたことを受け入れられず、表情、言葉を失った若者を毎年見る。
敗れてなお、相手を気づかうことが出来るには、選手として成熟している必要がある。大人になってこそ、初めてそれが可能になる。それはラグビーという競技が持つ「人格淘冶」の作用に他ならない。
その要素が、なぜ決勝の後のイングランドに欠けていたのか。