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メンタルも「作法」も独特すぎる。
10代囲碁名人・芝野虎丸の流儀。 

text by

内藤由起子

内藤由起子Yukiko Naito

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photograph byKYODO

posted2019/11/07 18:00

メンタルも「作法」も独特すぎる。10代囲碁名人・芝野虎丸の流儀。<Number Web> photograph by KYODO

第44期名人戦7番勝負の第5局で、当時名人の張栩九段(右)を破った芝野名人。10代初の7大タイトル保持者となった。

小学3年で本格的修業の道へ。

 芝野が囲碁を始めたのは4歳のとき。父親がマンガ『ヒカルの碁』に興味を持ち、ゲームソフトを買ってきたのがきっかけだ。2歳上の兄、龍之介(棋士・二段)が先にはまり、プロになりたいと思うようになる。

 本格的な修業ができる「洪道場」に、ついでのように虎丸少年も一緒に通うようになった。小学3年生のときだった。ここから囲碁漬けの生活が始まる。

 井山四冠も6歳のときに石井邦生九段に弟子入りしている。小学校低学年で本格的なプロ修業を始めているのが、若くして活躍できる大きな要因のひとつだ。

 洪道場を主宰する洪清泉四段は、すぐに虎丸少年の才能を見抜くが、本人は「いつやめようかと思っていた」という。

 虎丸少年はシャイだった。話す声もいまだに小さい。目立つことを嫌い、道場では部屋の一番隅が定位置だった。「何か話して」などと自分の意見を求められたりすると答えられず、泣いた。そんなときは兄の龍之介がとんできて弟をかばった。

 同じ道を歩む兄弟は、ともするとライバルになりがちだが、芝野兄弟は違う。弟が大好きな兄がいたというのも、虎丸少年の成長には欠かせないものだった。

盤上では徹底して強気。

 内気な芝野少年だったが、盤上では徹底して強気。どんな格上の相手にも最強に戦いを挑んで行く。10歳で日本棋院の院生(プロ養成機関)に入った。小学校6年のときには、義務教育が終わったら進学せず、囲碁一本で行くことを親と確かめている。

 将来の選択は子どもの自主性に任せる方針の家庭だという。ちなみにお父さんは京都大学法学部卒。お姉さんも東京大学大学院在学中と、高学歴家族の中で芝野は育っている。芝野本人も、「学校の勉強のほうが好きだった」という中で進路を選択した。

 テレビのない家庭環境も、自分のやるべきことに集中できる要因だったろう。

 順調に棋力をアップさせ、中学3年の9月にプロデビューを果たした。

「プロになったからには、楽しんで打とうと思いました」と芝野。

【次ページ】 独特な「作法」。

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芝野虎丸
井山裕太

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