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水球の日本一決定戦は価値観の争い。
禁断の戦術を貫いた大本洋嗣の覚悟。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byKei Nakamura
posted2019/11/05 08:00
代表合宿でのワンシーン。ここにもKingfisher74とブルボンウォーターポロクラブ柏崎の選手が数多く含まれている。
32年ぶりの五輪を手にした異端戦術。
日本は2016年のリオ五輪において、32年振りに五輪出場を決めた。
コンタクト系の男子団体球技はどこも数十年単位で五輪から遠ざかっていた。ハンドボールも、バスケットボールも、ホッケーも、アイスホッケーも('98年の長野五輪は開催国枠で出場)。そこから水球男子は「イチ抜け」したのだ。日本の宿命であるフィジカル的な弱点を克服できたのは、とことん攻めたからだ。
簡単に言えば、日本は「10点取られてもいいから11点を取りに行く」(大本)というスタイルを目指した。
通常、水球のディフェンスは、ゴール前で6人が半円形に並び、シュートコースを消す。いわゆる「ゾーンディフェンス」だ。
だが、日本のディフェンスは下がらない。それぞれが攻め手の前に立ち、パスコースを消すのだ。その方が前でボールを奪えるため、いち早く攻撃に移ることができるからだ。大本はこの戦術を「パスラインディフェンス」と呼んだ。
五輪で敗れ、不協和音が生じた。
ただ、もちろんだが、パスが通ってしまったときは、ほぼフリーでシュートを打たれてしまうリスクも背負う。ハイリスク・ハイリターンの、いわば捨て身のカウンター戦法だ。
日本はこの超攻撃的スタイルで五輪の舞台に立ったが、その大舞台ではグループリーグ5戦全敗で終えた。パスラインディフェンスの可能性と、そして限界を知った大会でもあった。
スタッフと選手の間に、小さくない不協和音が生じた。
だが、大本はこう力説する。
「パスラインディフェンスが機能しなかったということではない。自分たちのやるべきことができなかっただけ。ポジションが悪かったとか、プレッシャーが弱かったとか、紙一重のところ」