酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
最強の来日大リーガーはクロマティ。
大外れは7戦で引退グリーンウェル。
posted2019/11/03 19:00
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
BUNGEISHUNJU
メジャーのオールスター・プレイヤー、アルシデス・エスコバーのヤクルト入団が決まった。若いライター仲間のSNSでは「え、エスコバーが!」などと驚きの声が挙がっている。
確かにニュースではあるが、おじさんの私には「既視感たっぷり」ではある。
日本の野球ファンがMLBに初めて目を向けたのは、1978年のことだった。フジテレビが『アメリカ大リーグアワー』という番組を始めたのだ。これに合わせて4月にベースボールマガジン社が『米大リーグ26球団ガイド』を発売し、私はむさぼり読んだ。
カラーページにはレジー・ジャクソン、ピート・ローズ、ノーラン・ライアンなど、当時のスター選手が並んでいたが、驚いたことに、この中から何人もの選手が日本にやってきたのだ。
翌1979年にはマリナーズから阪神にリロイ・スタントン、1980年にはカブスから西武にスティーブ・オンティベロス(西武ではスティーブ)、1983年にはドジャースから巨人にレジー・スミス、1988年にはタイガースからロッテにビル・マドロック(1978年当時はジャイアンツ)。
私はそのたびに今の若いライター諸君同様「え、すごい!」と驚いた。メジャーの一流選手なのだから、さぞやすごい成績を挙げるだろうと思った。
「こら、打たんとん、引っ込め!」
しかし、必ずしもそうではなかった。
マリナーズで77本塁打を打ったスタントンは、阪神でも23本を打ったが打率.225、三振はリーグ最多の136。甲子園では「こら、打たんとん、引っ込め!」とヤジが飛んだ。
スティーブは西武の主力打者として、超大物レジー・スミスも短期間だが中軸打者として活躍した。その一方でビル・マドロックは4度も首位打者を取った大打者で、「マッドドッグ(狂犬)」と言われるほどヤンチャだったが、日本では元気がなくその片鱗もなかった。
こういう経験を経て、私のようなおじさんファンは「バリバリのメジャーリーガーだからと言って、活躍するとは限らない」ということを学んだのだ。