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松島幸太朗、トライ量産への思考。
被災地にまいた種と鳴り続ける電話。
text by
占部哲也(東京中日スポーツ)Tetsuya Urabe
photograph byNaoya Sanuki
posted2019/10/28 20:00
欧州でのプレーを希望し、さらなる飛躍を誓った松島幸太朗。4年後がもう楽しみで仕方ない。
義援金を募り、松島シートも用意。
もう1つ。人としての厚さを増した4年間だったのではないか。松島は多くは語らないが、“証拠”は残っている。
熊本地震直後の2016年4月。当時、共にスーパーラグビーでプレーする“海外組”だった田中の呼び掛けに応じ、義援金を募るサイトを立ち上げた。翌年には日本代表の集合日より早く熊本入り。福岡、田中と甚大な被害を受けた益城町の小学校や仮設住宅を回った。今年7月の岩手県釜石市で行われたフィジー戦でも「松島シート」を用意。「地元の子が試合を見られないと聞いた」と語っている。
W杯の大活躍でまいた種は芽吹いた。熊本県協会の野口光太郎理事長の弾む声が、まだ耳に残っている。
「いつも鳴らない協会の電話がたくさん鳴ってね。『どこでラグビーを習えるか、やれるのか』って。松島選手や福岡選手にみたいになりたいって」
50件以上の問い合わせの中には、松島が2年前に訪れた益城町の住民も含まれていたという。七転び八起き。倒されても、傷ついても、何度でも立ち上がる。そして、最後は驚くようなスピードでトライする。その姿は、未来の勇敢な桜戦士を夢見る子どもたちの胸の奥まで響いた。
言葉数は少ないが、偽りはない。
難敵のスコットランドを破り、史上初のベスト8を決めた夜。台風19号による被害が広がっていた。松島は歴史的な勝利を喜ぶよりも真っ先にこう言った。
「自分たちができる最大のメッセージは、勝って日本中のみなさんに元気を与えることだった」
足跡をたどればその言葉に偽りはない。10年以上前から松島を知るベテラン記者に伝えると、しみじみと言った。
「昔から言葉数は少ないけど、松島シートとか自然とそういうことができる。それが、松島幸太朗らしいよね」
うん。うん。興奮も重なり、何度も首を縦に振った。