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ゼルビアとサイバーエージェントの
関係で理解したい「FC町田」の歴史。
text by
郡司聡Satoshi Gunji
photograph byFcMachidaZelvia
posted2019/10/17 18:00
サイバーエージェントとの関係性が注目される町田ゼルビア。クラブが過渡期を迎えている中で、今後どのような歩みを見せるのか。
すべての始まりは小学生選抜。
クラブのルーツは1977年。町田サッカー協会に所属する小学生を選抜し、FC町田トレーニングセンターを発足させたことがすべての始まりだった。
当時、少年サッカー界のトップを走っていた清水FCを全国の舞台で撃破しようと、重田貞夫町田サッカー協会理事長(故人)や同協会の守屋実氏(現・相談役)ら関係者は知恵を絞りに絞った。
そこで結成したのが「FC町田」という選抜チームである。のちにFC町田は全国の舞台で清水FCを撃破し、'81年の全日本少年サッカー大会で全国優勝を果たしている。
当時の少年サッカー界は縦に蹴るスタイルが主流だったものの、FC町田はそうしたスタイルにアンチテーゼを掲げるように、横パスから崩すアプローチで一線を画していた。
落ち着いて自分たちでボールを回しながら、横パスで相手を揺さぶり、パスコースを作りながら相手を崩すスタイルは、“横が縦を制する”というフレーズで少年サッカー界に一石を投じた。
「町田市を代表する社会人クラブを」
こうしてFC町田を中心に、“少年サッカーの街”としての自負と歴史を積み重ねた町田のサッカー界だったが、ユース選手や大学の卒業生の受け皿となるトップチームがまだ存在していなかった。その結果、町田出身の優秀な人材は外に流出せざるを得なかったため、そうした状況を食い止めようと、重田理事長が立ち上がった。
「町田市を代表する社会人のクラブを創ろう」
重田理事長が掲げる“旗印”の下、町田サッカー協会関係者は、FC町田のトップチーム創設に着手した。当初は重田理事長を中心に、同協会一般の部の笠原道弘部長、同・細野雄次副部長、そして同・守屋強化普及部長らが結成に携わった。
活動の第一歩は町田サッカー協会に所属する社会人全チームに結成の趣旨とセレクションの案内を送付。その結果、20人ほどが集まったが、これがFC町田トップチームの原型となった。
こうして少年サッカーチームであるFC町田をルーツとしたクラブは1989年、前述の社会人選抜チームにFC町田のユースの卒業生が加わる形でトップチームが創設された。'85年創設のジュニアユースや'86年創設のユースに加え、'89年にトップチームが創設されたことで、FC町田の各カテゴリーのピラミッドが完成した格好となった。
このようにFC町田は異端の存在として、少年サッカー界で地位を確立。そのFC町田という少年サッカーチームを出発点としたクラブは、底辺から裾野を広げる形でJクラブとしてのピラミッドが構築された。
そうしたクラブの成り立ちを知る古くからのJリーグ関係者は、「まさにJリーグ百年構想という理念にふさわしいクラブですね」との言葉を残したという。クラブの創設に携わった者にとっては、最大級の“褒め言葉”だった。