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競歩・鈴木雄介が苦しんだ末に……金。
「くねくねしているとか笑われても」 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byGetty Images

posted2019/10/06 11:40

競歩・鈴木雄介が苦しんだ末に……金。「くねくねしているとか笑われても」<Number Web> photograph by Getty Images

現地時間28日の午後11時半開始のスケジュールをものともせず、競技史上初の金メダルに輝いた鈴木雄介。

故障に苦しみ、復帰は昨年5月。

 2016年も故障に苦しめられた。

 股関節の痛みが治らず、リオデジャネイロ五輪代表選考会の全日本競歩能美大会を欠場。2大会続けての五輪出場は夢と消えた。

 心中は、いかばかりだったか。

 競技への復帰は2018年5月。翌年3月の全日本競歩能美大会では4位に終わり、20kmでの世界選手権出場の可能性はなくなった。

 それでもあきらめることなく、距離を50kmに変えた4月の日本選手権で優勝。世界選手権日本代表をつかんだ。

 その末の世界陸上での金メダル。しかも序盤から独走での優勝だった。気温は30度を超え、湿度は70%以上。その中での50kmだ。棄権する選手もいた。

 過酷な中での、先頭を切ってのゴールは、鈴木の強さをあらためて感じさせた。いや、今までにない強さがあった。

「応援してくれる人たちがいた」

 復帰までの過程では、投げやりになったこともあったという。菓子類に手を出し、体重が7kgほど増えたこともあった。

 引退が頭をよぎったこともないわけではない。それでも道を過たず、より強くなって戻ってこられた要因は、「人」にあった。

 苦しみ続けた故障の治療に真摯にあたってくれた医療機関があった。それだけではなく、所属先、友人、さらにはライバルであるはずの選手が声をかけ続けてくれた。そこにあったのは、鈴木の可能性を信じる姿だった。

「自分を信じてくれる人がいる」

 そう実感した。人を求めて、以前は敬遠していた飲み会などにも参加するようになった。そこでも、応援してくれる人たちの姿に気づいたという。

「自分が自分を信じるよりも、自分を応援してくれる人たちがいた」

 それが支えとなった。人の強さを培うのは、自分自身の信念だけではなかった。周囲の人の姿勢もまた、強さを与えてくれた。

 こうして復活を遂げた末に得られた、日本競歩史上初の金メダルだった。

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