猛牛のささやきBACK NUMBER
これからオリックスは強くなります。
プロ14年、岸田護が後輩に託す夢。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byKyodo News
posted2019/10/06 11:30
引退セレモニーでT-岡田から花束を受け取る岸田護。現役最後の試合となったソフトバンク戦には元同僚らも駆けつけた。
「どんなにへろへろの球でも、勝つ」
ただその年、岸田は故障がちだったため、結局シーズン終盤は金子弌大(日本ハム)が抑えを務めたが、翌年に就任した岡田彰布監督は夏場から岸田を抑えに据えた。平野佳寿(ダイヤモンドバックス)から岸田につなぐ必勝リレーを構築したオリックスは交流戦優勝を果たし、岸田は絶対的な守護神となっていった。
岸田のストレートは140キロ台後半で、平野のような150キロを超える豪速球ではないが、打者の手元で浮き上がる、伸びのあるストレートは威力があった。
抑えは過酷で孤独な仕事だ。当時、抑えとしての葛藤を、岸田はこのように語っていた。
「負けたくないし、打たれたくないし、点をあげたくないし、防御率を上げたくない。いろんなことを考えると、つい守りに入ってしまう。真ん中にいって打たれたら嫌だから、もっとコースを厳しく。でもフォアボールは絶対にあかん、というふうに、これがあかんあれがあかん、と考えてしまう。
ただ、その結果ピンチになって、もう1本も打たれたらあかんとなればもう、やらなあかん、ここ打たれたらしゃれにならん、と腹をくくります。それで結果あかんかったらしゃーない、と。抑えるか、打たれるか、2つに1つしかないわけだから、自分の思い切った球を投げるしかない。
抑えになった最初の頃は、三者凡退で、欲を言えば三者三振で帰ってくるぞという気持ちがあった。どこかに、キレイに抑えようという意識がありました。でも今はそんなのはいらない。どんなにへろへろの球でも、勝ちゲームのままで帰ってくること、チームが勝つことだけを考えてます」
記憶に残る朴賛浩の言葉。
それでも打たれれば、自分を責めずにはいられない。
「悪いのはその球種だったり、コースだったりするんですが、もうその日1日が全部あかんかったような気がします。これもあかんかったんちゃうか、あれもあかんかったんちゃうか、こんな気持ちでマウンドに上がってたんちゃうか……と。オレは何しとったんや、どんな練習しとったんや、お前は何がしたいねん、将来どうなりたいねん、と考えてしまいますね」
2011年に、メジャー通算124勝の実績を持つ朴賛浩に言われた言葉が記憶に残っている。岸田が抑えに失敗し、朴の白星を消してしまった時のこと。「すいません」と岸田が謝ると、「なんで謝るんだ。お前で負けたら、しかたないだろ」と叱られた。
「グッときました。そうだよな、と。自信持っていかないと。オレが打たれたら終わりなんだ。だから堂々としておこうと。それからは謝らなかったです。心の中では『ごめんな』って謝ってるんですけど、そこはグッとこらえて、堂々としていようと思いました」