猛牛のささやきBACK NUMBER
これからオリックスは強くなります。
プロ14年、岸田護が後輩に託す夢。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byKyodo News
posted2019/10/06 11:30
引退セレモニーでT-岡田から花束を受け取る岸田護。現役最後の試合となったソフトバンク戦には元同僚らも駆けつけた。
「すごくいいお兄ちゃん」(平野)
そうして守り続けた9回のマウンドだったが、2013年には平野が抑えを任された。のちに岸田はこう語った。
「自分が抑えをやってる時から、あいつがほんまの抑えになるのはわかってました。ものが違いますもん。あいつは天才ですから」
以後、岸田は主にリリーフとしてチームを支えた。特に2014年には平野や佐藤達也、比嘉幹貴、馬原孝浩らとともに鉄壁のブルペンを構成し、ソフトバンクと優勝争いを繰り広げる原動力となった。
マウンド上だけでなく、普段から存在感が大きかった。軽妙な関西弁で、周囲を笑わせ、時には引き締める。みんなから「マモさん」と慕われた。
2歳年下だが同期入団で仲の良かった平野は、こう語っていた。
「野球だけじゃなく、人間としてすごく尊敬できる人。先輩でも後輩でも、誰に対しても平等にちゃんと接する。岸田さんのことを悪く言う選手を見たことがない。ほんとに兄貴気質で、人間として大きい人。すごくいいお兄ちゃん。そこは見習いたくても見習えない部分です。僕はたぶん後輩にちょっと怖がられてると思うんですけど、岸田さんはそういう垣根がない、親しみやすい先輩で、みんなが自然とついていくんです」
後輩たちに岸田についての話を聞くと、「男気」という言葉が出てくる。面倒見がよく、野球にかけるストイックな姿勢が尊敬を集めた。
惜しまなかった自分への投資。
海田智行は、「私生活も、野球に対する姿勢も、全部がお手本。自己管理や節制を徹底している。後輩への投資と、自分への投資を惜しまない人」と言う。
自分への投資とは、例えば、怪我が多い体をメンテナンスするための治療器具などだ。遠征中も常に自分の体にあったマットレスを敷いて寝るため、遠征先のホテルには自分で別料金を支払って、ベッドを取り外してもらっていた。
そのように徹底的にこだわってトレーニングや自己管理をしてきたが、チーム最年長の38歳になった今年、体は限界に達しようとしていた。腰や足の怪我で今年は万全の状態で投げられず、一軍登板の機会はなかった。
「『まだやれる』と心のどこかで思っていても、違う自分が『それは過信やで』と言う。若い子の球を見ていると、今の僕とはレベルの違う球を投げてますから、そこはまさに引き際なのかな、と」
ついに引退を決断した。