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イチローが語る唯一無二の天才論と、
「鈴木一朗」と「イチロー」の距離。 

text by

石田雄太

石田雄太Yuta Ishida

PROFILE

photograph byNaoya Sanuki

posted2019/08/31 11:30

イチローが語る唯一無二の天才論と、「鈴木一朗」と「イチロー」の距離。<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

イチローは2001年の渡米直前、「天才(と自分を)言うな!」と話していた時期があった。

「必死こいてた頃のイチロー」

 イチローは、その昔、『天才』と言われることを嫌がった。それは、必死でやっていることに対して、それを知らずに軽々と天才だからと括られることにガマンできなかったからだ。それが皮肉なことに、最近は『天才』と表現されることが少なくなってきた。

「おもしろいですよね。今、言われるのと当時とは全然、意味が違うし、そのときよりは(天才の域に)近づいてると思います。実は僕、天才が好きなんです(笑)。人ができないことをやるのが大好きだから。なのに200本が近づいてくると、本性が出ちゃう。それまでは出てこないのに、現れちゃう。だからイヤなんです。しかも続けるとなると、余計にそうなる。必死こけばこくほど目指すところが遠くなることはわかっているのに、必死こいちゃう。だから、続けることは難しいんです」

 イチローが言う「必死こいてた頃のイチロー」とは、一人歩きしてしまった“イチロー”の幻影を懸命に追い続けていた当時の話だ。「必死こきたくないイチロー」が現れたのは、2004年。ジョージ・シスラーが持っていたメジャーリーグでのシーズン最多安打記録を塗り替えた頃からだった。

 いつしか彼は、「鈴木一朗はイチローを越えた、今の彼(イチロー)は鈴木一朗の一部」と口にするようになっていた。鈴木一朗がイチローを追いかけていた頃、“イチロー”には孤高でストイックなイメージが作り上げられてしまったために、尖(とん)がる必要があった。

僕の一部である彼なんですから。

 しかし、鈴木一朗がイチローを支配下に置いた今、楽して成し遂げる天才のイメージを今の“イチロー”に演出したいというシフトチェンジが一朗の中で行われたような気がしてならない。自分に厳しいことに変わりはないのに、「自分に甘い」というコンセプトでモットーを語ってしまうような、そんな天才肌のイチローが、今の彼の理想なのだろう。

「確かに以前は必死な自分がいました。思うようにポイントが見つからなくて、自分を落ち着かせようと必死になっているだけの自分がいたんです。そうなると苦しい。何かを探そうという感覚を持った時点で、何をやっても苦しくなる。それが怖いのかもしれません。

 極限まで行こうとする自分がそうなってしまうと、限界が見えてしまうから。自分で逃げ道を作れば『いや、オレはまだそこまでやっていないから』って言える。つまり、楽をしようとする自分をイメージすることでモチベーションを保とうとしているのでしょうね。しかも、そうしているのは、僕じゃなくて、僕(鈴木一朗)の一部である彼(イチロー)なんですから(笑)」

【次ページ】 先駆者だなんてちゃんちゃらおかしい。

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