令和の野球探訪BACK NUMBER
国学院久我山を導いた29歳青年監督。
“短い練習”を武器にした文武両道。
text by
高木遊Yu Takagi
photograph byYu Takagi
posted2019/07/29 12:10
28年ぶりの夏の甲子園の切符を手にした国学院久我山。中澤直之主将(右)と喜ぶ尾崎直輝監督。
チーム全体に浸透した尾崎の指導。
この夏の大会前、尾崎監督は「手応えしかありません」と、これまでにない自信をのぞかせていた。
それは、他校に比べれば短い全体練習の時間をとても大切にできていること、賢く試合の状況を見ながら多種多様な戦いができるようになってきたからであった。主将を務める中澤直之が「私生活が野球に繋がる」と話すように、尾崎監督の考えはチーム全体に浸透していた。
準々決勝の早稲田実戦ではベンチやスタンドも含めてチーム一丸となって粘り、最後は4番の宮崎恭輔がサヨナラ満塁本塁打を放って劇的な勝利を収めた。準決勝の東海大菅生戦でも前評判の高い相手に対して投打が噛み合い3対1で勝利。決勝進出自体も河内貴哉(現広島球団職員)がエースだった1999年以来20年ぶりだった。
勝ち越しに繋げた選手たちの冷静さ。
28年ぶりの甲子園がかかった創価戦でも選手たちは逞しかった。
1回と2回で得点を挙げながらも、徐々にペースを握られ、6回には創価高校の4番中山竜星の本塁打で追いつかれた。このまま試合をひっくり返されてもおかしくない展開だったが、「事象や流れに囚われることなく、スコアボードを見て落ち着いて野球をしよう」と伝えてきたことを選手たちは決勝の舞台で実践した。
以降は後続を断ってピンチを切り抜けると、同点で迎えた9回、相手投手の疲れを見逃さずに畳み掛けて2点を奪い試合を決めた。
優勝の瞬間に尾崎監督は、ベンチ外の部員や父兄、学校関係者が歓喜に沸くスタンドに向けて拳を突き上げた。
全員で掴み取ることができた甲子園切符だったことを象徴していた。