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平成元年と令和元年のオールスター。
村田兆治のガチさ、サイクルの緩さ。 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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photograph byYasutaka Nakamizo

posted2019/07/19 11:30

平成元年と令和元年のオールスター。村田兆治のガチさ、サイクルの緩さ。<Number Web> photograph by Yasutaka Nakamizo

「セ・リーグ」「パ・リーグ」というレアなパネルが見られるのもオールスターならでは。

平成元年の村田兆治はもちろんガチだった。

 1989年、「平成元年のオールスター第1戦」の最年長勝利投手が当時39歳8カ月の村田兆治(ロッテ)だった。MVPに輝き男泣きの村田のコメントが「ファンの多いセにパの力を見せる。それには真っ向勝負しかない」である。

 マサカリ兆治はいつだってガチだ。そりゃあバックを守る野手も必死に走るわけである。その大先輩の鬼気迫る姿に触発されるように若手サウスポーの阿波野秀幸(近鉄)は「村田さんのおかげで自分のピッチングを思い出した」と落合博満(中日)やパリッシュ(ヤクルト)から直球で連続三振を奪う。

 和気あいあいの夏フェスじゃなく、ヒリヒリするようなギラギラの男祭り感。ただ、一方で30年前と現在では球界の置かれた状況がまったく違う。だってあの頃、交流戦どころか、侍ジャパンもなければ、メジャー挑戦も夢物語だった。FA移籍すら存在しなかったのだ。

 平成の間にダイエーはソフトバンクへ変わり、日本ハムは東京から北海道へ、オリックスは西宮から神戸を挟んで大阪へ、ロッテは川崎から千葉へ、近鉄は消滅し、仙台に楽天という新球団ができた。

 日本シリーズが関東地区で視聴率40%を突破し、地上波テレビをつけたらいつも巨人戦中継をやってる時代は終わったが、今は動画配信で外出中もスマホ片手にプロ野球を楽しめるし、チケットもネットで手軽に取れるようになった。地域密着路線で各球団の観客動員数は史上最高レベルで増え続けている。要は野球を取り巻く環境も、ファンの好みも細分化した。

 近本のサイクルの件もそうだ。「球宴だからユルく楽しめればいい」と支持するファンも、「これだから最近の球宴はヌルくてつまらない」と否定的なファンもいる。どちらが正解というのはないだろう。

「最強」を求める場所は他にできた。

 ただ、桑田と清原の因縁の“KK対決”のように全野球ファンでひとつの大きなストーリーを共有するという文化は、オールスター戦から例えばWBCの決勝戦のような舞台にその役割を移した気がする。単純にレベルの高いスーパープレーを求めるなら、エンゼルスの大谷翔平が出るMLBの試合を観るという選択肢もあるだろう。

 平成元年と令和元年の夢の球宴から見えてくるこの30年間のプロ野球の変化。平成前半あたりまでオールスター戦は大多数のファンから「最強」を求められた。けど、令和の球場ファンはオールスターに「最高」を求めている。だって、WBCとかメジャーとか最強を決める戦いは他にもあるから。

 雨の甲子園の帰り道、某プレイガイドの仕事で野球にかかわる同世代のKさんと梅田でお好み焼きをつつきながら、そんなことを話し続けた。店員の大学生風アルバイトの女の子は、その夜に甲子園でオールスターをやっていることを知らなかった。スポーツはフィギュアスケートが好きだという。

 あらゆる娯楽が多様化し、野球の立ち位置も平成30年間でこれだけ変わったんだ。令和の数十年でも球界は大きく変化するだろう。その変わり続けるプロ野球をこの目で見続けていこうと思う。

 See you baseball freak……

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