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「プロレスを探す旅」に出発した、
飯伏幸太が見つけた最終目的地。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byEssei Hara
posted2019/06/28 12:00
7月から「G1 CLIMAX 29」が開幕。前回大会で飯伏は準優勝を果たしている。
プロレスは人形にさえ魂を吹き込む。
朝8時。
まだ社員が出勤する前の、しんと静まり返った編集部に登場した飯伏は、プロレスの欠片すら見当たらないフロアをリングに変え、編集者が徹夜で用意した人形を相手に汗だくになって技の応酬を繰り広げた。
名付けて「編集部プロレス」。
本や書類が山と積まれたデスクをトップロープにして飛び、マットと化した休憩用のソファに叩きつけられた。
その挙句、小説が好きで、文芸志望で入社してきたその担当編集者の心を完全にプロレス界へと引きずり込んで、去っていったのだ。
ネットで購入した人形にスイミングパンツをはかせ、マスクをかぶせ、一応、「なんば君、33歳、腰痛持ちの編集者」という設定を決めた、その担当女史はただの布の塊に命が吹き込まれるところを目撃したという。
「飯伏さんが肘打ちをするとパーン、パーンと凄い音がするんです。あんなに柔らかい人形相手なのに……。なんば君が技をかけられている時は苦しい表情に見えましたし、技をかけている時は怒っているように見えたんです」
それはプロレスに人生を捧げた男のありったけの表現だった。あの日、「なんば君」という人格は確かに存在したのだ。
自由なプロレスと、帰るべきリングを求めて。
ただ、この世にまたひとりプロレスファンを増やした飯伏は、次のリングを求めてさまよっていく中、自問自答していた。
愛するプロレスを世界中に広めるためには、あといくつのリングを渡り歩かなければならないのだろうか。自分が求めるリングとは、いったいどこにあるのだろうか。
インディーズ団体のDDTとメジャーの新日本プロレス、当時は業界初の2団体同時所属だったが、それにも限界を感じ、その後、フリーランスとなり「飯伏プロレス研究所」を名乗ることになる、ちょうどその頃だった。
去り際、飯伏は悩みを打ち明けるかのようにホワイトボードにペンを走らせた。
飯伏幸太 プロレスを探す旅。
帰社予定の欄には「直帰」と書かれていた。
自由なプロレスと、帰るべきリングを求める彼の心の叫びのようだった。