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中田英寿はいかにして育ったのか。
地元・山梨で見えた「人の縁」の妙。
text by
矢崎香耶子(Number編集部)Kayako Yazaki
photograph byGetty Images
posted2019/06/03 18:00
中田英寿の“中田然”とした話しぶりは小学生の時からだった。その性質を伸ばした大人たちのことも讃えられてしかるべきだろう。
中田が相対する人が違ったら……。
時代をさらに遡って、小学校時代の監督、竹田三郎さんも、中田を頭ごなしに叱ったことはなかったと言う。
「すぐタメ口きくし、生意気ですよ。だけど喋ってみると、ああこういうやつなのか、って思うんです。こいつは俺がなんとかしなくちゃ、なんとかしてやらなくちゃって」
取材を終えて振り返ったとき、最も印象深かったのは、皆川さんの言葉だった。
「あそこで彼の頭が出ようとするのをトンカチで叩いていたら、彼はどうなったのかな、って。恐ろしいところもあるんですよね」
ときは昭和。体罰も今ほど問題にならなかった時代だ。取材の中では、実際に“潰された”選手の話が話題に上ることもあった。相対する人が違っていれば……中田がそうならなかったという保証は、どこにもない。
中田が“中田英寿”として存在できた理由。それは、持って生まれた“生意気”という必然のみならず、生意気を生意気のまま育てることのできた、人の縁という偶然によるところも大きかったのかもしれない。
Number979号「日本サッカー天才伝説」では、中田英寿の成功を支えた必然と偶然について、金子達仁さんが迫りました。ほかにも、久保建英選手の巻頭インタビューを始め、日本サッカーを彩ってきた天才たちが目白押しです。ぜひご覧ください。