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中田英寿はいかにして育ったのか。
地元・山梨で見えた「人の縁」の妙。
text by
矢崎香耶子(Number編集部)Kayako Yazaki
photograph byGetty Images
posted2019/06/03 18:00
中田英寿の“中田然”とした話しぶりは小学生の時からだった。その性質を伸ばした大人たちのことも讃えられてしかるべきだろう。
「先生、よく泣かなかったじゃん」
それは、中田と今村先生のクラス担任で、今も韮崎高に勤務する高見澤あず美先生に話を聞いたときにも感じることになった。中田は、高見澤先生との2者面談で、周囲から勧められていた大学進学と、「今しかできない」Jリーグへの思いのどちらを取るか、相談したという。
「もちろん頭は良かったですから、いい大学にも行けるんだろうなって思いました。でも今しかできないことをやりたいって思うんだったら、Jリーグに行ってからでも、十分彼だったら間に合うんじゃないかなって思って。だからとりあえず挑戦するのもいいんじゃないって言いました」
当時のJリーグは、まだ発足して間もない頃。未知の世界への挑戦を後押しするのは、決して軽い気持ちでできることではなかったはずだ。そんな高見澤先生だが、中田にはからかわれるようなことも多かったそうで……。
「私はすごくよく泣いたんです。彼らが2年生のときに異動することになって、すごく不本意でいたんですよね。でも最後の挨拶の時は絶対泣かないって決めていて、結局泣かないでうまくいったんです。そしたら、その時最後に英寿くんが来て『先生、よく泣かなかったじゃん』って褒めてくれました」
こんなことを先生に言えば、生意気だ、と怒られてもいいような気もする。それでも、中田と接するときには「常にどういう言葉を返そうか考えていました」と高見澤先生は笑う。
「皆川さんだって責任ありますよね」
中田の“生意気”エピソードはこれだけに留まらない。中学校時代のコーチ、皆川新一さんは、中田に走らされたときのことを振り返ってくれた。
「練習試合をやって負けたんです。じゃあ1時間後にグラウンド集合だから、って言って、1時間後に帰ってきて、そこから選手たちにダッシュをさせるんですよ。俺が車で待ってると、ちょっと走ってから、スタスタってヒデが俺のところに来て。『皆川さんは怒ってるけど、これって俺らだけの責任? 皆川さんだって責任ありますよね』って」
まさに“生意気”。なぜ怒らなかったのか。
「生意気だと思わなかった自分がいるっていうのはあるんですね。普通だったら、もしかしたらそこにかぶせるように、ガツンと怒っちゃうみたいなことになったかもしれない。でもそれをさせなかった、生意気だって思わせなかった。ちょっと待てよ、俺が変なのか? みたいなことを思わせた彼がいるっていう」