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世界戦に敗れ去ったボクサーの人生。
黒田雅之の前に広がる、真っ白な世界。 

text by

日比野恭三

日比野恭三Kyozo Hibino

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photograph byAFP/AFLO

posted2019/06/04 10:30

世界戦に敗れ去ったボクサーの人生。黒田雅之の前に広がる、真っ白な世界。<Number Web> photograph by AFP/AFLO

5月13日、世界戦の舞台としては小さかった後楽園ホール。ボクシングの聖地では、これからもボクサー達が血と汗を流し続ける。

無名ボクサーの敗戦は記事になるか?

 世界戦の前に記したコラム(https://number.bunshun.jp/articles/-/839277)のとおり、華や人気とは無縁のキャリア。所属ジムの新田渉世会長曰く「ポンコツのゴミ捨て場行き」になる寸前から復活し、大一番へとこぎ着けた。

 41戦目にして巡ってきた2度目の世界挑戦に、黒田は敗れた。無名ボクサーの敗戦を記事にできるかどうか自信はなかったが、敗者の声をいまの鮮度で記録しておきたいとの思いが勝り、インタビューを申し込んだ。

 約束の時間の10分前だというのに、黒田はJR登戸駅改札口の真正面で待ち構えていた。

「本当にすみませんでした」

 スーツ姿の黒田は、歩み寄った筆者にいきなり頭を下げた。

 5月13日、IBF世界フライ級王者のモルティ・ムザラネに0-3の判定負けを喫してから10日と経っていなかった。顔を間近に見れば、戦いの痕跡はいまだ生々しい。左目のまぶたにピンク色の傷跡が浮かび、右の眼球には赤い絵の具を垂らしたような充血が見えた。

 6年ぶりの世界戦は、少なくとも黒田にとっては死闘になった。中盤以降、想定より伸びてきたパンチを浴びた右目の視界がかすみ、カットした左のまぶたからは血が滴り落ちた。終盤になると、レフェリーは注意深く黒田の顔を幾度も覗き込んだ。ストップの声はかからなかったが、採点結果の発表を待つまでもなく、勝敗は明らかだった。

ベルト奪取のチャンスは、あの時。

 黒田には、試合前に2度、話を聞かせてもらった。

 叩き上げのボクサーが世界のベルトに挑戦する。集客力はお世辞にもあるとは言えず、だからこそ会場はキャパの小さな後楽園ホールとなった。だが、日本のボクサーたちの汗と無念がしみ込んだリングは、苦労人の32歳が立つにはふさわしい場であるように思えた。

 黒田も伊藤も、ここで新人王になったのだ。興味を引かれ、取材を始めたのは、そうした舞台設定に胸が熱くなったからだった。

 試合をリングサイドから見つめた。ムザラネは36歳の年齢を感じさせないタフなボクサーだった。的確なパンチを挑戦者の顔面にヒットさせ、優位を保っていた。

 黒田にベルト強奪のチャンスがあったとすれば、11ラウンドの終了間際だったろう。

 左ボディからの右ストレート。本人すら「どう打ったのか覚えていない」パンチは、おそらくムザラネの顎をかすめた。ガクンと腰が落ちた。

 録画しておいた試合の映像をスローにして確認したが、あの一瞬、黒田の表情は生き返っていた。すかさず距離を詰め、プロデビューから14年間の努力を世界のベルトに結実させる右ストレートを、ムザラネの顔面に叩き込もうとしていた。

 しかし――。

【次ページ】 「ボクサーとして生きてる実感だった」

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