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世界戦に敗れ去ったボクサーの人生。
黒田雅之の前に広がる、真っ白な世界。
posted2019/06/04 10:30
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph by
AFP/AFLO
5月に日本人ボクサーが登場した世界タイトルマッチ7戦の結果は、1勝6敗だったという。勝ったのは井上尚弥だけだった。
負けた6人のうち5人が挑戦者で、王者として臨み防衛に失敗したのは1人。それが伊藤雅雪だ。WBO世界スーパーフェザー級王者の肩書には「前」をつけなければならなくなった。
2012年、筆者はたまたま伊藤の試合を直に見た。後楽園ホールでの、全日本新人王決勝戦だった。直線的に伸びる右ストレートの印象がおぼろげに残っているが、そこに伊藤というボクサーがいたことを鮮明に記憶できているのは、華のある雰囲気と、「雅」に「雪」と書く名前のイメージが絶妙にマッチしていたせいだ。
その後、1つの負けを挟んで勝ち続けてきた伊藤は、昨夏、ついに世界のベルトをアメリカの地でつかんだ。
強さの証明を手にしたことで、伊藤の輝きは増したようだった。昨年末に同級1位の指名挑戦者を7回TKOで退けて初防衛に成功。今年4月には、米大手プロモーション会社「トップランク」に認められる存在となり、複数年契約を締結した。
だが、2度目の防衛戦で無念の判定負けを喫した。
挑戦し続けたいが「本当に厳しい世界です」。
後日、伊藤はSNSで心境を明かしている。一部を引用したい。
―――
この階級でまた同じ場所まで戻ることが、どれだけ難しい事かは分かっているつもりです。
獲る事自体、挑戦する事自体が本当に難しいですし。
これからの事はすぐに決める事はできません。
僕だけの気持ちで決められる事ではないですし。
(中略)
勝つときもあれば、負けるときもある。そんな事はわかっていて挑戦し続けたいと思っていましたが、本当に厳しい世界です。
自分のやってきた事には全く後悔はありません。
ただこれからの自分になにができるか、それをまずは考えます。
―――
2度出てくる文末の「し」が、揺れる心を反映している。
アスリートの本能は前に進みたがっている。一方で、人間の理性がブレーキをかける。これまで歩んできた険しい道を、本当にもう一度、歩み直す覚悟があるのかと問いかけてくる。
世界戦に敗れたボクサーの心象風景。つい先日、生の証言を得た。
伊藤雅雪ではない。黒田雅之。
5月、王者に挑み、散った5人の日本人挑戦者の1人は、伊藤とは対照的なボクサーだ。