Jをめぐる冒険BACK NUMBER
朝の情報番組でマニアックな戦術論。
「みんなのレノファ」の志が熱い。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2019/05/31 11:00
「みんなのレノファ」を支える十川プロデューサー(左)と楢崎アナ。朝の情報番組と思えぬ濃度で、レノファ山口を熱く深く扱っている。
15分の番組でも独自映像を。
いかにサッカーを知らない層を取り込み、レノファ山口のサポーターになってもらうか――。それが、「みんレノ」の狙いとするところだからだ。
分からないことは調べ、自分と同じようにサッカーに詳しくない人でも理解できるように伝えていく――楢崎のこのスタンスは、「みんレノ」の根底をなすようになる。
yabとしてはレノファ山口が誕生した2006年から取り上げていたが、'15年のJ3昇格にともない、「みんレノ」が始まった。もっとも、毎週月曜夕方のニュース番組内で結果を伝えるだけ。単独番組もあったが月1回、土曜に15分だけだったから、できることは限られていた。
「3試合なり、4試合の結果を伝えるだけ。スタジオの場面なんて30秒くらいしかないので、『惜しかったですね。次、期待しましょう』くらいしか言えませんでした」
だが、その頃からこだわっていたことがある。独自映像を録ることだ。
「行けるところには全部行って、自分たちの画を録っていました。それを続けることで視聴者や選手たちから信頼を得られるはずだと。映像をもらうのではなく、狙いを持って自分たちで録る。それは月イチの時代から変わらないコンセプトですね」
低迷した'17年に大きな方針転換。
'16年にレノファ山口がJ2に昇格すると、「みんレノ」も週1回の単一番組へと昇格を果たす。
だが、工夫をこらす必要があった。土曜の朝9時半からの10分番組だったのだ。
「前の試合のダイジェストを伝えても古いので、それは1分半くらいにして。スタジアムグルメやグッズを紹介したりする企画を3分くらいやって、選手のインタビューモノをやり始めたんです」
この年、レノファ山口はJ2で快進撃を見せ、サッカーに興味のなかった県民が関心を持ち始めた。選手たちはアイドル的な人気を博し、選手の素の表情が見られるインタビュー企画は、好評を得る。
ところが、翌'17年シーズン、企画の見直しを迫られることになる。前年の好調がウソのようにチームの成績は低迷し、残留争いに巻き込まれてしまうのだ。
これまでのように、明るく、楽しいだけの番組作りを続けるわけにはいかない。さあ、どうするか……。
「そこからインタビューを真面目な感じに変えて、選手がどういう想いを抱えて戦っているか、に迫るようにしたんです。サポーターに申し訳ない、でも、どうしたらいいか分からない……。そんな本音を吐露してもらって。それに、我々から問題提起できることもあるんじゃないか。そんなチャレンジを始めたのが'17年でした」