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がんに襲われた大学生ラガーマン。
わずか1年で克服し、プロの道に。 

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多羅正崇

多羅正崇Masataka Tara

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photograph byMasataka Tara

posted2019/05/13 10:30

がんに襲われた大学生ラガーマン。わずか1年で克服し、プロの道に。<Number Web> photograph by Masataka Tara

トップリーグ昇格を果たした三菱重工相模原ダイナボアーズの一員として、新シーズンに挑む田中伸弥。

お見舞い客で溢れたシンヤの病室。

 1日ずつ延びる寿命を使って、田中は家族や仲間とスマートフォンでやりとりをした。誰かと喋りたかった。同期の喜連は3、4時間の長電話に何度も付き合ってくれた。

 やがて病室はお見舞い客で溢れるようになった。喜連が所属するNTTコミュニケーションズ主将の金正奎、そして2人兄弟の兄・健太が所属する近鉄ライナーズ主将の樫本敦らも激励に訪れた。

 チームの垣根を超えた連帯はさらに広がる。

 '18年3月、大阪市内のホテルで行われた近大ラグビー部の卒部式では、関西リーグの各大学からのビデオメッセージが上映された。田中はニット帽をかぶって参加。発起人は喜連だった。

 喜連は電話口では気丈に振る舞うシンヤが、家族の前では不安から涙することを知っていた。入院費を抑えるため「大部屋に入れて欲しい」と願い出て、母を泣かせたことも知っていた。死の淵をさまよいながら家族を想う、そんな友人の力になりたかった。

「関西のキャプテンたちに連絡して、シンヤへのメッセージを撮ってもらいました。『シンヤ頑張れ、手術頑張れ』のビデオメッセージです。関西はこういう時にひとつになれるので」(喜連)

 関西大学Aリーグの各大学は、'17年度のリーグ戦で頸椎を痛めた京都産業大学の元主将・中川将弥にも、それぞれのチームカラーを折り重ねた千羽鶴を贈っている。

 その中川とも同学年の田中は、近畿大を卒業した4月以降も病魔と闘った。明るい新生活はなかったが、しかし希望ならあった。もう1度ラグビーがしたかった。

髪は抜け落ち、体重も10kg減。

 治療はやがて第8クールに入った。頭髪はとうに抜け落ちていた。体重は入院時から10kg減っていた。ある日病院内の飲食スペースで、家族の目の前で気絶した。もう限界だった。医師はがん細胞が死滅したと判断して、腫瘍の除去手術に移行した。

 '18年7月23日、まずは肺の腫瘍の除去手術。12時間の大手術になった。

「その手術には難関が2つありました。1つ目は左の肺に癒着している腫瘍。それが取れなかったら肺を取ることになっていて、『肺を取ったらラグビーはできないよ』と」

 もう1つ。首元の大きな血管にも癒着があった。

「その腫瘍が取れなかったら人工血管にしなければいけない。人工血管になったら、やっぱりラグビーはできない。大きなリスクが2つあったんですけど」

 先生が、うまいことやってくれました。

 田中はさらりとそう言ってのけるが、人生の大きな分岐点だった。約10時間に及んだ腹部の腫瘍の除去手術も成功。がん発覚から約1年後、'18年11月に治療は終了した。

【次ページ】 「歩き」から始まった選手復帰。

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