クライマーズ・アングルBACK NUMBER
登山届は遭難の「後」に役に立つ。
条例が増加中、報道には違和感。
text by
森山憲一Kenichi Moriyama
photograph byShinichi Yajima
posted2019/04/28 09:00
南アルプスの畑薙大吊橋登山口にある登山届ポスト。
登山届はなんのために必要か。
ところでこうした動きを、「登山の管理強化だ」とネガティブにとらえる向きもある。が、登山届というのは、その内容を審査したりするものではなく、ほとんどの場合、行政側は届をただ受け取るだけである。事故があったときにその登山届を見て、遭難者の情報を得るために利用している。
今年3月、神奈川県丹沢で、行方不明になった登山者が9日ぶりに発見救助されるという事故があった。こういう事故は、毎年、全国各地で起こっている。発見されたときにはすでに遺体となっていたり、あるいは発見されずじまいというケースも少なくない。
こういうときに、行動予定が書かれた登山届があれば捜索範囲を絞ることができ、救助される確率がぐっと上がる。登山届最大の存在意義はそこにあり、つまり登山届とは一種の保険のようなものなのだ。
「登山届を出したから大丈夫」か。
だから条例の有無にかかわらず、登山届はぜひ提出すべしというのが私の意見でもあるのだが、この件に関する報道の論調には少し言いたいこともある。
山岳遭難を報じるニュースに「登山届は出していなかった」と付されることが、この4、5年で目立って増えた。それはあたかも、「提出していなかったがゆえに事故が起こった」とでも言いたげだ。
だがすでに書いたように、登山届とは有事の際に役立てることが最大の目的。起こってしまったときに使うものであって、事前に遭難を防止する機能はほとんどない。登山届を提出したからといって、遭難しにくくなるわけではないのだ。
ちょっと不適切な例えになってしまうかもしれないが、生命保険をかけたからといって死ににくくなるわけではないのと同じ。
死なないためには、保険をかけることよりも、ふだんの健康管理や安全注意のほうがはるかに大事なことであるはずなのだが、遭難報道はそこをすっとばして保険ばかりに注目しているように見える。
おそらくは、条例制定にともない、事故の警察発表の際に登山届についてふれられるケースが増えたのだろう。そのために、そこがホットな論点であると記者が早合点しているのではないか。
しかし残念ながら、個別の事故の登山届の有無に本質的な報道価値はあまりない。むしろ、わざわざ登山届にふれることによって、「登山届を出していさえすれば」あるいは「ルールを守っていれば大丈夫」という、誤ったメッセージを読者視聴者に送ってしまっているようにも思う。