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公務員からプロ転向の川内優輝が、
東京五輪よりも重視するものとは。
posted2019/04/06 11:00
text by
杉本亮輔Ryosuke Sugimoto
photograph by
Kiichi Matsumoto
列島が注視した新元号発表の約3時間後、男子マラソンの川内優輝は興奮気味に新たな一歩を刻んでいた。4月1日、プロランナーとしての初日。午後3時すぎ、シューズのひもを結び、軽快に大地を蹴った。
3月31日で埼玉県庁を退職して“公務員ランナー”という愛称に別れを告げた。プロ初練習には埼玉・久喜市の自宅から行田市方面を回るコースを選んだ。50km走の予定だったが、途中で道に迷ったために走行距離は60kmに。これまでは勤務があったため平日は2時間程度のトレーニングしかできなかったが、月曜日に5時間弱、汗を流した。
「やりたいようにできる。すごく恵まれているな」
心地良い疲労の中に、確かな実感があった。
公務員ランナーの名声と葛藤。
2011年の東京マラソンで2時間8分37秒をマークし、日本人トップの3位に入った。公務員という肩書き、実業団への対抗心をむき出しにするユニークなキャラクターで、一気にマラソン界の話題の中心に。世界選手権にも3度出場し、'14年アジア大会では銅メダルを獲得した。
定時制高校の事務として、平日は12時45分~21時15分まで勤務し、時に残業もある。少ない練習量を補うために毎週のようにレースに出場し、有給休暇を消化しながら海外にも積極的に遠征した。仕事との折り合いをつけ、限られた時間の中で競技力の向上を目指す一方で、限界を感じることもあったという。
「練習の日は治療ができないし、治療の日は練習ができない。月間1000km走ったこともないし、夏に涼しいところで長期の合宿もできない」
'13年のソウル国際でマークした2時間8分14秒を最後に自己ベスト更新は止まり、'17年の世界選手権では8位入賞に3秒届かない9位。より強くなるためにプロ転向を考えるようになった。「この時はまだフィフティ、フィフティ。プロになるのか、公務員を続けるのか毎日迷っていた」と振り返る。