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公務員からプロ転向の川内優輝が、
東京五輪よりも重視するものとは。
text by
杉本亮輔Ryosuke Sugimoto
photograph byKiichi Matsumoto
posted2019/04/06 11:00
座右の銘である「現状打破」。4月3日の所属契約会見ではプロとして新しい一歩を踏み出す決意を示した。
プロ転向決断を後押ししたレース。
均衡を保っていた心の天秤が大きく「プロ」に傾いたのは'17年の福岡国際マラソンだった。
プロとして活動する弟の鮮輝が大幅に自己ベストを更新したのだ。
「真剣に競技に取り組む姿を見て、90%以上は弟のようにプロでやりたいと思った。やらないと、死ぬときに後悔する」
決意を固め、4カ月後に川内は極寒の過酷な環境下で行われたボストン・マラソンで優勝した。しかもスタートから飛び出し、集団に吸収され、一時はトップと2分近い差をつけられながら逆転するという、スペクタクルな展開で。
1977年以降で最も遅い2時間15分58秒の優勝タイムには、様々な環境、レースプランで戦ってきた川内のキャリアがたっぷりと詰まっていた。
ボストンは6大会(他にロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨークシティ、東京)で構成される世界最高峰シリーズ「ワールドマラソンメジャーズ」の一角で、1897年に第1回が開催された歴史ある大レースである。日本勢の戴冠は1987年の瀬古利彦以来、31年ぶりの快挙だった。
世界に衝撃を与えた極東の市民ランナーは、確かな自信と実利を得た。凱旋帰国の成田空港。優勝賞金15万ドル(約1670万円)の使い道を問われ、「('19年)4月にプロに転向しようと思っているので、その資金にしたい」と宣言した。
五輪以外にも世界中にレースが。
2020年東京五輪開幕まで500日を切った。このタイミングでのプロ転向は、アスリートの常識に当てはめれば、自国開催の大舞台を目指して競技に集中したいから、となる。だが、川内は違った。「五輪はみんなが目指していて、価値のある素晴らしい大会だと思う」と前置きした上で、こう続ける。
「五輪、五輪と言って、五輪が終わったら競技を辞めてしまうのは寂しい。マラソンは五輪以外にも世界中にレースがある」
暑さに弱いため、東京五輪には当初から消極的だった。3月のびわ湖毎日マラソンで自身13度目の2時間10分切りとなる2時間9分21秒で日本人2位に入り、代表の座を有力にしている今秋の世界選手権(ドーハ)の出場権を正式に得れば、五輪選考レースのマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)には参戦しない。
プロ転向に伴い、メーンスポンサーを探す過程で川内が重視したのは、MGCの出場を条件としない企業だった。