“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
学生服姿の少年が見せた悔しい顔。
9年後の昌子源は「物凄く、成長した」。
posted2019/03/31 10:30
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takuya Sugiyama
先日行われたキリンチャレンジカップ、日本代表vs.ボリビア代表の一戦。
会場となったノエビアスタジアム神戸のミックスゾーンでの出来事だった。筆者はこの試合には出場しなかった昌子源を呼び止め、話を聞いた。
「とりあえず僕は森保ジャパン初選出なので、まずは監督の考え方や求めていること、そしてチームを知ることを意識しました。今回で森保さんの戦術は凄くよく分かりましたし、森保さんと話す機会も多かった。何を求められているのかも自分の中でははっきりと分かったつもりです。
森保さんは『選手同士でコミュニケーションを取れ』というタイプ。自分はW杯も経験させてもらっている立場なので、しっかりとリーダーシップをとっていければと思っていました。
それに(安西)幸輝もそうですし、(畠中)槙之輔、(橋本)拳人とか、下の年代は(代表活動が)初めての選手が多かった。先輩たちがたくさん声をかけてくれたように、自分がサポートすることを意識しました。立場は変わったなと感じましたね」
逞しくなった昌子、よみがえる9年前の姿。
鹿島アントラーズでDFリーダーとなり、ロシアW杯をCBの主軸として経験。ACL初優勝後にフランス1部リーグのトゥールーズに移籍を果たし、海外組として堂々たるプレーを見せる昌子の言葉には重みがあった。何より、そこには日本代表の主軸としての自信と自覚があった。
逞しい言葉を聞いているうちに、筆者の心に懐かしい風景が蘇ってきた――。
それは今からちょうど9年前の2010年3月のこと。布啓一郎(現・ザスパクサツ群馬監督)監督率いるU-19日本代表は、その年の秋に中国で開催されるAFC U-19選手権に向けて、神戸で強化合宿を行なっていた。このU-19日本代表候補に、前年のインターハイで米子北を準優勝に導いた昌子が初めて選ばれたのだった。