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<赤ヘル前史>
元祖カープ女子 佐々木久子の生涯。
text by

藤島大Dai Fujishima
photograph byKYODO
posted2015/06/01 06:00

赤また赤。マツダスタジアムは革命なき時代の赤の広場だ。空港ロビーにも駅のホームにもレッドの老若男女が群れをなす。
その昔。広島市民球場の赤とは赤トンボだった。閑散とした外野の席をのんびりと旋回する。その様子が少し離れた場所からもわかった。8月なのに新聞の担当記者はペンを走らせた。「秋風が吹いた」。優勝のスリムな希望はそうして潰えた。
あのころ、広島カープのヘルメットは青かった。そのつどユニフォームの色やデザインは変わるも基調は紺がかったブルー。1975年、現在につながる「赤」の導入までの歳月を仮に「青の時代」と呼ぼう。
カープ=弱小。球団発足初年度から18シーズン連続Bクラスは現時点でもワースト記録である。そんな「青の時代」と真っ赤に燃える2015年を結んだ女傑がいた。
佐々木久子。恋に破れ、酒を愛し、コイに恋した。'08年没。存命なら88歳になる。'66年7月11日、東京・ホテルオークラ。ビートルズの武道館公演の11日後、「広島カープを優勝させる会」は発足する。
中心人物が『酒』という雑誌の編集長、佐々木であった。地元紙の中国新聞に当日のコメントが見つかる。「カープを愛する文化人がこんご広島ナインと精神的に養子の縁組みをしてカープ上京のときにめんどうを見ることにしたい」。全国の酒蔵をめぐる多忙をぬって発起人に連なり、持ち前の社交性を存分に発揮、各界名士を集め、故郷である広島のそれは弱かった球団を盛り立てた。
こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。
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