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棚橋弘至、復活の春となるか。逸材がしおれるのはまだ早い。~ケニー・オメガ不在でも、100年に1人の逸材がいる~ 

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門馬忠雄

門馬忠雄Tadao Monma

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photograph byEssei Hara

posted2018/03/16 07:00

棚橋弘至、復活の春となるか。逸材がしおれるのはまだ早い。~ケニー・オメガ不在でも、100年に1人の逸材がいる~<Number Web> photograph by Essei Hara

1月27日にIWGPインターコンチネンタル王座から陥落。ニュージャパンカップは、それ以来の復帰戦となる。

 13個のメダル獲得に沸いた平昌冬季五輪。スキー・ジャンプ競技を見るたびに、46年前の情景を思い起こす。

 筆者は1972年2月、日本初の冬季五輪開催となった札幌大会の取材で、現地に1カ月滞在した。宮の森ジャンプ競技場で行われた70m級ジャンプ競技で、笠谷幸生、金野昭次、青地清二の「日の丸飛行隊」トリオが金銀銅のメダルを独占。歓喜渦巻く真っ只中にいた。なにしろプロレスという裸の世界から一転、冬の競技の取材は初めて。立ちっぱなしの仕事は、身が凍るように寒かった。

 この大会の直後、東京・大田区体育館に向かった。新日本プロレスの旗揚げ記念興行の取材。アントニオ猪木と喧嘩別れした怪力・豊登が「テレビ局がつくまで……」と泣かせるセリフで助っ人参戦した、歴史的な試合だ。3月に行われる新日本の旗揚げ記念興行は、なぜかいつも寒い。このときもそうだった。こちらは札幌五輪から休みなし、事前取材の時間もなく、プロレスの現場に戻って右往左往。やたらと新鮮に映ったのを覚えている。

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僕らは本田圭佑を待っている。

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