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修造応援! パラカヌー瀬立モニカが
描く、どこまでも前向きな未来。
 

text by

松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

PROFILE

photograph byYuki Suenaga

posted2019/02/05 07:00

修造応援! パラカヌー瀬立モニカが描く、どこまでも前向きな未来。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

前列の左から、瀬立モニカさん、西明美コーチ。背後は母親の瀬立キヌ子さん。

すべてつながっていた、人の縁。

松岡「色んなチョイスがあったはずです。水泳もテニスの経験だってあるし。なぜパラカヌーだったんですか」

瀬立「カヌー協会の方が、東京開催に決まったから今度はパラカヌーで世界を目指してみないかって……」

松岡「声をかけてくれたんだ。すごいですね。中学の時に学校の先生がカヌーを勧めてくれたときから今に至るまで、色んなひとがレールを敷いてくれて、モニカさんも負けじとその上を走り抜いてきた」

キヌ子さん「ぜんぶつながっているんです。そこにいらっしゃる西(明美)コーチもつながっていて。西コーチは、中学の時のカヌー部の先生だったんです」

西「先生というか、何人かいるコーチの1人でした」

松岡「今の関係性になるまでには何があったんですか」

西「彼女が退院して、社会復帰をしたときに、この練習場に挨拶に来てくれたんですね。その時は私はいなかったんだけど、無理やり舟に乗せられたんだよね」

瀬立「そうです」

松岡「無理やり?」

瀬立「協会から『パラカヌーでパラリンピックを目指しませんか』ってメールが来たんですけど、私は最初、それを無視していたんです。当時はまだ座位保持もできない状態だったので、なんて失礼なことを言ってくるんだろうと思って。

 カヌーは体幹が大事じゃないですか。体が動かないのにカヌーに乗れなんて、失礼すぎる! と思ったんです」

松岡「怒ってたんだ」

瀬立「だって私、顔も上げられなかったんですよ、最初の頃は。どうやって前に向かせようというくらいの状態だったのに、オジさんったらね」

松岡「もしかして、そのメールを送った人は、何のつてもないのにスポンサー交渉に行った、カヌー協会の小宮(次夫)さん?」

西「そうです、そうです」

松岡「やっぱり!」

瀬立「で、何度も何度もしつこいメールが来るんです。だったら、この首も上がらない今の自分の状態を見てもらおう、と思うようになったんです。ここに来て、乗って、落ちてやろうと」

松岡「落ちて、大変なことになって、さあどうしてくれるのって」

瀬立「そう(笑)。そういうシチュエーションを思い浮かべていたんですけど、カヌー協会の方が一枚上手で。ここに来てみたら、絶対にどう乗っても水に落ちないような幅の広い舟が用意されていたんです。さらには万一のことが起きても大丈夫なように周囲にロープを張ってくれていて……。

 乗ってみたら、意外に行けるなって思いました。

 車椅子生活になってから、運動する機会が全然なかったので、久しぶりに運動して、これは楽しい! 続けたい! って思いました」

松岡「あ! 今、頭の中に流れてきましたよ、吉川さんの曲が。『チャンス、チャンス、チャンス、チャンス、モニカー♪』。チャンスが来た!」

瀬立「はい、そう思いました(笑)」

「良い意味で『何でもありなんだな』と」

西「その後かな。当番でここのコーチに来たときに、『これからパラカヌーをやります、モニカです』って紹介されて。きっかけはただそれだけです」

松岡「そこから2人の関係が始まった。今や切っても切り離せないパートナーですね」

瀬立「遠征とかになると、一緒に行って下さる方がどうしても必要で。初めての大会に連れていってくれたのが西さんでした」

西「カヌー競技は舟を自前で用意しないといけないし、石川県に合宿の拠点があるので、そこまで車に舟を積んでいく必要がある。車椅子でまだ慣れない公共機関を使うより、車の方がラクだしね。知らないうちに密着型になりました」

瀬立「遠征を重ねて、寝食をともにしていくうちに、コーチもすごく明るい方だし、楽しくて」

西「だから、怖くないんですよ(笑)。ずっと一緒にいますね」

松岡「リオにも帯同して、コーチもそこで色んなことを感じたんじゃないですか」

西「彼女の話にもありましたけど、リオの選手村って、私にとっても衝撃的だったんです。

 私は帯同者として選手村に入りましたが、明らかに選手たちの方が数が多いじゃないですか。みんな何らかのハンディキャップを抱えていて、それなのに何の屈託もない。障害があるのが当たり前という雰囲気で、その空気感に圧倒されました。

 選手村には10日間くらいいたのかな。たとえば片足がない選手が義足の調子が悪いからと言って、ポンとそれを外すでしょ。それで義足の上下を逆さまにして、足の裏のところにコーヒーカップを置くんです。私たちはこんなこともできるのよ、便利でしょって。そういう光景があちこちで見られて、良い意味で『何でもありなんだな』って思いました。

 欠けているものは何もないし、もしかすると彼女たちは失った代わりに何か得意なもの、特別なものを手にしたのかもしれない。

 きっとモニカもそういう光景を目にして、考え方も気持ちも変わったと思います」

【次ページ】 思いは「つねに、前向き」で。

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