マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
中学野球部の露骨なボーク誘導。
審判は「アンフェア」をどう裁くか。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2019/01/12 08:00
高校野球の世界で、将来性や育成よりも目の前の勝利が優先される場面は想像以上に多い。今後はどうなるか。
試合進行を管理するのが審判。
ひるがえって、野球界はどうだろうか?
スピードアップの掛け声のもと、プレー時間の超過だけは神経質に指摘するが、ジャッジに対するクレームに毅然と立ち向かう気配もなく、すぐに審判を集めて協議することで、むしろスピードアップに逆行してはいないだろうか。
たとえば、「ボーク」とジャッジした場面。見ている者の多くは何がどう不正なのかわからないのに、明瞭な説明がない場面がとても多い。
おそらく当事者の選手たちもよくわからないのにそのままスルーさせているが、ラグビーでは必ずといってよいほど、不正の当事者を呼んで、どの動きが反則なのか、どうすればその反則は起こらなかったのかをレフェリーが直接選手に言って聞かせる。
グラウンド上での試合進行を管理しているのが「審判」なのであれば、野球の現場でも、こうした場面が見られてもよいのではないか。
ルールで決着がつかないこともある。
とりわけ、高校野球、大学野球の現場においては、審判だけが唯一「年長の大人たち」であろう。
「ルールブック」を適用すればそれで白黒がつく場面ばかりではない。
たとえば「アンフェア」という、そこにいる指導者、選手の誰もが胸に誓っているはずの「スポーツマンシップ」という“精神”の部分で、あるまじき場面があったときこそ、即座にその旨ジャッジして、ただちに関わった選手にその“不正”をわかるように説明して正し、そのあとで観客にもわかりやすく説明する。
そのことで、野球という競技の質が向上し、選手たちの意識が高まり、だからこそ、ジャッジする者の権威とジャッジする者に対するリスペクトが高まり、確立されていくのではないか。
権威とかリスペクトというものは、まず「ありき」ではない。それにふさわしい行為や態度の実践があってこそ、そのあとから生まれてくるものであろう。
そんなことをツラツラ考えながら、あと1カ月足らずになった野球シーズン到来を待ち遠しく思う今日この頃である。