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松山英樹が振り返った苦戦の'18年。
「そのイメージを取り除くのが先」 

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桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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photograph byYoichi Katsuragawa

posted2019/01/10 07:00

松山英樹が振り返った苦戦の'18年。「そのイメージを取り除くのが先」<Number Web> photograph by Yoichi Katsuragawa

2018年、ツアー優勝なしに終わった松山英樹。ソニーオープンから再びスタートを切る。

「一度も帰れないかも」

 この変化については、松山にも一定の懸念材料がある。

「日本に帰れないなあ……って感じがします。これまではシーズン中に1回、2回と帰れてたんですけどね」

 メジャーやWGC(世界選手権シリーズ)などビッグトーナメントが続くこと自体に対しては「まあ、そこはいいんじゃないですかね。1回、“リオの時”にやっているので特に考えることはない」と言う。リオデジャネイロ五輪が開催された2016年は7月にメジャー2試合を戦い、ハードスケジュールに身を置いた経験がある。

 一方で、'14年に主戦場を移してから昨年までは、マスターズの直後や夏場に一時帰国するのが通例だった。

「自分が日本に戻るのは、今でもリフレッシュの意味が大きい。ひょっとしたら、一度も帰れないかもしれないと思うのは心配かな」

 スタートダッシュから短期間で一気に好成績を連ねられる可能性がある反面、心身が整わない状態で悪い流れから抜け出せない恐れもある日程といえそうだ。

苦しんだ1年を振り返ると。

 プロゴルファーの1試合は長い。4日間72ホール。1ラウンドで4時間半プレーしたとして、勝負が決するのに18時間かかる。そうは言っても、ゲームの前後の過ごし方がキャリアにとってはモノをいう。

 松山は昨年、メジャーで一度もトップ10入りがなかった。'14年以来4年ぶりのことだったが、かかる期待は当時の比ではないほど大きい。苦しんだ1年を振り返ってもらうと、反省すべきは、やはり試合運びなどではなく、その前後にあったという。

「'17年の10月くらいからスイングを変えてきた。でも。その作業を自分ひとりの意見で進めてしまった感じ。トレーナーの飯田(光輝)さん、キャディの(進藤)大典さん……みんなに話を聞いていたつもりだったけれど、客観的に自分を見られる力がなかった」

 もがき苦しむ間、多少なりとも独りよがりになっていたと認めた。

 左手の故障で春先に約1カ月半の離脱を強いられた。クラブ選びにも奔走。全米オープンの開幕前日にドライバーのヘッドが割れるというアクシデントも起こり、不運が多かったようでもあるが、本人は「そうは思わない。ある程度、割り切れていた。ただのタイミングです」と断じた。

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