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ボヘミアン・ラプソディを見て思う。
ロックとフットボールの高い親和性。
text by
杉山孝Takashi Sugiyama
photograph byAFLO
posted2019/01/02 09:00
クイーンの楽曲はいまや、スポーツ界にとっても定番中の定番となっている。スタジアムで聴くとまた格別なのだ。
アメリカの国技“じゃない方”。
また少し違う形の、音楽とフットボールの融合に出会ったことがある。以前に、仕事のやり取りをしていた元プロ選手のララスというアメリカ人だ。
もしかしたら、この名前にピンとくる人がいるかもしれない。アメリカ代表として96試合を戦った、アレクシ・ララス。だが、ここで登場するのは、その弟のグレッグ・ララス。MLSでプレーしたが、出場は5試合だけだった。
引退してメディアの世界に入ったグレッグとは、話が合った。共通項は、当然フットボール。「うちはギリシャ系の家庭でさ」。アメリカの国技“じゃない方”のフットボールを始めた理由を、そう語った。彼らの家には、ルーツにつながる文化の幹があった。
ウマが合ったもう1つの理由が、音楽だった。グレッグも、ロックやメタルを好んだ。だが、兄のアレクシの場合は趣味・嗜好の域を超えていた。プロのアスリートでありながら、ミュージシャンという顔も持っていたのだ。父が祖国から携えてきたフットボールと、母国が生んだロックと。ララス家には、ミックスされた文化というベースがあった。
グレッグが軽口を叩く。「兄貴が質問されたんだ。フットボールとロック、どっちを取るのかって。そしたら、即答で『音楽』。理由は、ずっと続けられるからだって」。生き様が、ロックである。
「この間、ヌーノとサッカーしたんだって」
あるときも何気なくチャットしていると、唐突な話に驚かされた。「この間、兄貴がヌーノとサッカーをしたんだって」。ヌーノ・ベッテンコート。全米ナンバーワンに輝く楽曲も生んだバンド、『エクストリーム』のギタリストである。
このヌーノもまた、音楽とフットボールを結びつける1人だ。幼少期にアメリカに渡ったが、生まれはポルトガル。子どもの頃の夢は、ベンフィカの選手になることだったと語っている。かつて『ヤングギター』誌の表紙を、当時のポルトガル代表の背番号21、名前が同じヌーノ・ゴメスのユニホームを着て飾ったことがある。2015年に国内リーグとリーグカップを制した際には、「ベンフィカ!!!!!!! 連覇だ!」とツイッターで喜びを爆発させた。