プロ野球亭日乗BACK NUMBER
日本高野連から歓迎されなくても、
新潟県が球数制限を導入した重み。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byHideki Sugiyama
posted2018/12/26 08:00
吉田輝星の甲子園での奮投ぶりが、投球数という形で物議をかもしたのは記憶に新しい。
部員数の有利、不利の格差。
高校野球の投手の球数制限に反対する声でいの一番に上がるのは、部員数によって有利、不利の格差が生まれるということだ。
有望な選手が集まり、部員数の多い学校は控え投手の層も厚く、継投策になっても投手のレベルが落ちない。しかし部員数の少ない公立校の野球部などでは2番手で投げる投手もいないかもしれないし、いたとしても投手としてのレベルは大きく下がってしまう。球数制限をすればそういうエース1人の学校は不利になる。2018年夏の金足農業などはその全国版の例として挙がるものだった。
これが反対の論理だ。
ただ、球数制限をする最大の目的は何かをもう一度、考え直すべきではないだろうか。
球数制限は故障防止のため。
金足農業・吉田輝星投手は、現段階では幸いにも投げ過ぎで大きな故障につながることはなかった。それでももっと長いスパンで見たときに高校時代の投げ過ぎが、彼の野球人生にどんな影を落とすかは分からない。一つだけ言えるとすれば、きちっと球数をコントロールすることは、投手の肩やひじにとってプラスにこそなれ決してマイナスにはならないということだ。
球数制限とはまさに選手を故障から守ることだ。新潟高野連の富樫会長が語るように、将来のある子供たちがケガで野球を断念することを防ぐためのルールなのである。
チームの勝利を最優先して、勝利至上主義の下で選手が踏み台になることを是とするのか。それとも選手の故障やケガを未然に防ぐルールを作って、その中で「勝負」をするのか。どちらが子供たちの成長や将来に結びつくのかは明白なことだと思う。
「高校時代に何人もピッチャーが消えていくのを見た」
DeNA・筒香嘉智外野手の近著『空に向かってかっ飛ばせ! 未来のアスリートたちへ』(文藝春秋刊)の取材で本人の話を聞いていて、高校時代の思い出として印象に残った言葉だった。
そういう姿を見てきた筒香も、選手を故障から守るためには少年野球から高校野球、大学野球までは少なくとも球数制限が必要だ、と同書の中で説いている。