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アジア杯シリア監督、シュタンゲ。
戦争に負けず生きる70歳の半生。
text by
アレクシス・メヌーゲAlexis Menuge
photograph bySoccer Iraq
posted2018/12/11 07:30
ドイツ、ウクライナ、オーストラリア、オマーン、イラク、キプロス、ベラルーシ、シンガポールで指導後、シュタンゲはシリアで最後の課題に取り掛かった。
「今ここにミサイルが飛んで来たら」
今年はじめからダマスカス郊外のホテルに住み、イラク代表監督を経験したばかりか、かつて「シュタージ(旧東ドイツの秘密警察。非公式ながら所属していたことが発覚し、ヘルタ・ベルリンの監督を1992年に解雇されたことも)」とも深く関わっていたシュタンゲは、シリアを巡る状況がいまだに不安定であることをよく理解している。
「街を歩くたびに、今ここにミサイルが飛んで来たらと思う。ダマスカスに住む300万人のシリア人が、みな同じ恐怖を抱えている」
戦争が終わり、市民生活にも余裕が。
シリア協会からオファーを受けたときは、当初はさほど乗り気ではなかった。
シリア側は、自薦他薦を含む100人近い候補者の中から彼に白羽の矢を立てたのだった。
「過去の経験からどうしたらいいのか、10日以上じっくり考えた。
現地の情報もできるだけ集めた。ヨーロッパ人としてシリアに行くのは本能的な不安があった。しかしダマスカスに着いたとたんに、そんな気持ちは吹っ飛んだ。
手厚い歓迎を受けたのは嬉しい驚きだったし、サポーターたちはソーシャルアカウントで代表への熱い支持と希望のメッセージを寄せてくれた」
戦争という激動の時期が過ぎ去り、国情が安定していくにつれて、市民の生活にも余裕が出てきた。彼が赴任したのはそんな時期だった。
「最近では状況もずいぶん落ち着いた。市場は人で溢れているし人々に笑顔も戻ってきた。街のさまざまな場所で祭りがおこなわれている。
7年間続いた戦争に、彼らは心から嫌気がさしていた。思いはただひとつ、もう一度平和を取り戻したいということだけだったんだ」