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アジア杯シリア監督、シュタンゲ。
戦争に負けず生きる70歳の半生。
text by
アレクシス・メヌーゲAlexis Menuge
photograph bySoccer Iraq
posted2018/12/11 07:30
ドイツ、ウクライナ、オーストラリア、オマーン、イラク、キプロス、ベラルーシ、シンガポールで指導後、シュタンゲはシリアで最後の課題に取り掛かった。
「引退生活は退屈だったのでね(笑)」
民衆に絶大な人気のあるサッカーは、そのための有効な手段となる。シュタンゲはそのことにすぐに気づいた。
「シリア人はサッカーが大好きだ。(オーストラリアとのプレーオフに敗れ)ロシアワールドカップ出場を逃したにもかかわらず、代表選手は英雄扱いされている。
深刻な日常生活を送っているシリアの人々に、多少なりとも喜びを与えるのが私の使命だと思っている。サッカーは彼らに新鮮な空気を提供できるだろう」
それにしてもシュタンゲは、15年ほど前にイラクでも似たような状況を経験しながら、どうして穏やかな引退生活を選ばず、再び敢えて火中の栗を拾おうとするのか。
「率直に言って『イエナ(旧東ドイツの都市)』での生活は退屈だったんだ。友人たちと街のビストロでサッカー談義をするだけではフラストレーションがたまるばかりで……私にはアドレナリンが必要だった。
私はまだ一度も大きな国際大会の本大会に出場していない。そのピッチに立つのが私の最後の目標だ」
「戦争が起こりそうだと分かっていながら」
大舞台に最も近づいたのが、イラク代表監督(2002~'04年)のときだった。
だがこのときも、戦争が大きな影を彼の上に落とした。イラクは彼が危険を承知で自ら困難に飛び込んだ、最初で最後のケースとなるはずだった。
「後から冷静に考えたら、戦争が起こりそうだと分かっていながらサインはするべきでなかった」
イラクでの2年間は充実していた。だが、2004年アテネ五輪は、アジア予選を突破しながら本大会ではチームに随行できなかった(イラクは3位決定戦でイタリアに敗れ4位)。政治的な理由から、五輪前に国を離れねばならなかったのだった。