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アジア杯シリア監督、シュタンゲ。
戦争に負けず生きる70歳の半生。
text by
アレクシス・メヌーゲAlexis Menuge
photograph bySoccer Iraq
posted2018/12/11 07:30
ドイツ、ウクライナ、オーストラリア、オマーン、イラク、キプロス、ベラルーシ、シンガポールで指導後、シュタンゲはシリアで最後の課題に取り掛かった。
ブレアとの写真によって解雇。
「ロンドンで撮った写真――イギリス議会でトニー・ブレア首相と撮った写真が問題になった。最悪の敵から贈り物を貰ったと批判された。
脅迫状が何通も届き、ドイツ大使館は私を保護して急きょ帰国させた。そうした混乱の中、イラクは私抜きで五輪準決勝に進んだ」
それはシュタンゲにとって、喉の奥に詰まった小骨のように拭い難い記憶となった。
「引退前に大舞台に一度は立ちたい。それがシリアのオファーを受けた理由のひとつでもある」
「外部からの干渉はまったくない」
シリア代表を巡る状況は決して芳しくはない。
国内では国際試合を開催できず、ホームの公式戦はカタールやマレーシアで行わねばならない。
それでも自由を享受し独立を保てる今の仕事に満足しているとシュタンゲは言う。
「外部からの干渉がまったくなく、すべては私の裁量に委ねられている。政府や協会、民衆も大きな信頼を寄せてくれているのがよくわかる」
中東においてそれがどれほど稀であるかを彼は理解している。
2001年にオマーン代表監督に就任したときの状況はもっとデリケートであった。
「ウズベキスタンとのアウェーゲームでは、試合開始直前に主力3人がいないことに気づいた。
買い物をしていてスタジアム入りが遅れ、私は別の選手たちを先発起用した。ところがそこに大荷物を抱えた3人がやって来てアップを始めた。スポーツ大臣が彼ら3人を起用するように命じたが、私は断固拒否したらその場で解雇された」