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久米一正がサッカー界に遺したもの。
「情熱とビジネス感覚の両立を」 

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西川結城

西川結城Yuki Nishikawa

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posted2018/11/30 17:00

久米一正がサッカー界に遺したもの。「情熱とビジネス感覚の両立を」<Number Web> photograph by AFLO

2010年のJ1優勝は、久米氏にとってはじめてのタイトルだった。あの時の嬉しそうな顔が忘れられない。

西野氏に言われた「久米、お前はいいよな」。

 この時、監督を退く西野氏から言われた一言が、久米氏の人生を動かすことになる。

「久米、お前はいいよな。会社という帰るところがあって(当時久米氏は日立からの出向)。俺はプロだから、そうはいかない」

 愚痴っぽくも聞こえるが、それはむしろGMと監督という乾いた関係性ではなく、同級生・同僚として西野氏が思いを吐露した瞬間でもあった。数年後、その言葉を起点に久米氏は発起する。

「あの言葉は、当時からずっと耳にこびりついている。でも西野の一言で『俺も何かあったときはスパッと辞めて、サッカーの道一本で食べていく』という思いにさせてくれた」

 2003年、久米氏は故郷静岡の清水エスパルスの強化部長に、プロ契約で就任した。親会社やスポンサー企業からの出向者ではない。のちに日本有数の“プロの強化屋”と呼ばれる久米氏の誕生である。

初優勝で見せたクシャクシャな表情。

 低迷していた清水に、どんどん新鮮な風を送り込んでいく。2005年にはクラブOBの長谷川健太を監督に招聘し、さらに毎年大学・高校の注目株の選手を次々と呼び寄せていく。岡崎慎司を高卒で清水に加入させたのも、久米氏だった。

 その後2008年には、手腕を評価される形で名古屋グランパスのGMに就任する。時はクラブのレジェンド、ドラガン・ストイコビッチ監督体制が始まるシーズンで、現場をピクシーが、フロントを久米氏が担当してクラブは上昇気流に乗った。

 2010年。名古屋にとって初となるリーグ優勝は、久米氏にとっても念願の初制覇だった。柏、清水時代もあと一歩のところで届かなかった戴冠。クシャクシャな表情で笑いながら祝杯をあげる、あの時の久米氏の姿が忘れられない。

 その後は日本サッカー協会の技術委員も任され、2014年には西野氏を名古屋の監督に招き入れ、再タッグを結成した。さらに2015年には名古屋の社長に。トヨタ自動車出身以外の人間では初めてのことだった。最後は成績が下降し、チームのJ2降格が決定した2016年末で名古屋を退団。昨年1年の休養を経て、今年から再び清水の要職を任されていた。

 西野氏とのドラマや経歴を振り返るだけでも、太くて濃いサッカー人生を歩んできたことがわかる。

 ではなぜ、久米氏がここまでの大きな存在感を発揮し続けることができたのだろうか。

【次ページ】 闘莉王を心酔させた“人たらし”。

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