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24歳田中将大の“神話”が終わった日 斎藤隆がブルペンから見た楽天初優勝の舞台裏
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byHideki Sugiyama
posted2020/11/19 11:00
楽天初優勝の2013年日本シリーズの裏には、田中将大の“神話”の終焉と復活があった
期待に応えて5回投げきった則本
なぜ斎藤はベンチの命に背いたのか。
「展開を考えれば、おれじゃない。ノリ(則本)がいるならノリでしょう、と。日本一、世界一を獲ろうというのは、そんな甘いものじゃないんです。いろいろわかってしまってるから、どうしても(先が)見えちゃう。使いづらかったでしょうね」
経験が首を横に振らせた。「ここで斎藤」が勝利への最善手ではないと悟り、星野の形相も恐れず身を引いた。ルーキーであろうと関係ない。「田中を除けば総合的に見てナンバーワン」の投手が立つべき場面だと信じて疑わなかった。
則本は9回に同点に追いつかれながら、勝ち越しに成功した延長10回まで5イニングを投げきって勝利投手となった。
王手をかけ、舞台をKスタ宮城に移す次戦は田中が先発。シーズン24勝0敗の事実は、第6戦での日本一決定という未来を約束しているかのようだった。
しかし、田中は負ける。5回に逆転を許し、反撃を願ってマウンドに立ち続けるも、160球の完投は報われない。
斎藤が記憶を手繰る。
「これはもう日本一になれなくても仕方ないかなと。おれは何をしてたんだろう……。最後まで勝ってグラウンドに出ていく準備をしていたような気がする。肩も一度もつくってないかもしれません。それくらい負けることがありえない状況だったので」
田中が放っていた異様な雰囲気
第7戦はイーグルスの先発、美馬学が6回無失点の好投を見せる。打線も4回までに3点を奪い、日本一への継投に入った。
7回と8回を則本が零封し、最終回のマウンドには田中が立った。
「試合の途中、彼がブルペンに来た。前日に死闘を繰り広げたピッチャーが放つものとは思えない雰囲気を出していました」
ただ、斎藤は独り投球練習を続けた。前夜についた初黒星によって、背番号18はもはや神ではなくなっていたからだ。
田中は2者の出塁を許し、一発で同点に追いつかれる危機を迎えた。15球目、代打の矢野謙次が空振り三振に倒れるその瞬間まで、未来を見通すことはできなかった。
「だから、日本一が決まってグラウンドに出ていくのはぼくが最後だったんです」
東北に生まれた新球団の快挙に、チーム関係者の多くが、そして応援を続けてきたファンが涙を流して喜んだ。斎藤は思う。
「嶋(基宏)が『見せましょう、野球の底力を』と話す映像が何度となく流れたように、震災を経て選手たちが背負いこまざるを得なかったものがいかに大きかったか。それを、勝っても泣けなかったぼくは感じてしまった」
一丸のチームにいながら、客観の視点を持つ。それは震災の日を遠きアメリカで過ごした斎藤なりの、貢献の仕方だった。