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24歳田中将大の“神話”が終わった日 斎藤隆がブルペンから見た楽天初優勝の舞台裏
posted2020/11/19 11:00
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph by
Hideki Sugiyama
遠きアメリカで7シーズンを過ごした斎藤隆が、故郷の新球団に加入したのは震災2年後のこと。その年、チームとファンが一体となった楽天は、鬼神・田中将大とともに頂点へと駆け上った。
◆◆◆◆◆
7年間でMLB5球団を渡り歩いた斎藤隆は、2013年シーズン、イーグルスの一員として戦うことを決めた。生まれ故郷の仙台に居を移し、東日本大震災の発生から2年という時間の長短に思いを馳せた。
「爪痕がはっきり残っているところがある一方で、早くから復興している場所もあった。ぼくが帰ってきたのは、そのギャップが強く感じられるような段階でした」
被災地の星たらんとしていたイーグルスはこの年、順調に勝利を重ねた。打線ではヤンキースから加入のマギーとジョーンズが“MJ砲”と恐れられ、先発投手陣では7年目の田中将大が無敗街道をひた走った。
斎藤がある日の記憶を呼び起こす。
「田中と初めてキャッチボールをした時、肩、肘、手首以外にもう一つ関節を持っているような印象を受けました。腕がグングングングンと4段階に動くというか……。これはすごいなって。完敗しましたね」
24歳は43歳のベテラン右腕にあっさりと負けを認めさせた。それどころか、ひたすら勝ち星を重ねる姿に、日米20年のキャリアに裏打ちされたロジックは崩壊した。
「若いころは完璧を求める。それこそがプロフェッショナリズムだと考える。でも少しずつ、1年を通して完璧であり続けることは不可能だという結論を出し、できない部分を認めることによってぼくはメジャーで活躍できたと思うんです。田中はそれを目の前でやってのけた。若い子がいたずらに使うレベルではなく、あの年の彼は『神』でした。ボールが指を離れる瞬間でもバッターの動きが見えているんじゃないかというぐらい、完璧でしたよね」
「いや、おれじゃないでしょ!」
その一方、ブルペンは安定性を欠いた。クローザーを務めた青山浩二は不振に陥り、夏にはラズナーも故障。斎藤ら幾人かの投手でカバーしたが、絶対的な解は最後まで見つからなかった。
それでも7月前半から首位の座を守り通し、イーグルスは球団創設9年目にして初のリーグ優勝を飾る。CSではマリーンズを下し、セ・リーグ覇者のジャイアンツと日本シリーズを戦うこととなった。
Kスタ宮城で1勝1敗、東京ドームでも1勝1敗。五分に渡り合って迎えた第5戦、イーグルスのブルペンは慌てた。
発端は斎藤の一言だ。先発の辛島航が踏ん張り、ベンチは2点リードで継投を画策。星野仙一監督と佐藤義則投手コーチは斎藤を送り出すと決め、ブルペン担当の森山良二に電話を入れた。
登板を伝え聞いた斎藤の返事はこうだ。
「いや、おれじゃないでしょ!」
まさかの反応に遭った森山はベンチに相談。結局、初戦に先発していた新人の則本昂大が6回のマウンドに立つことになる。