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全国の少年が憧れたマスクマン、
ミル・マスカラスの華麗なる業績。 

text by

堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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photograph byMoritsuna Kimura/AFLO

posted2018/11/18 09:00

全国の少年が憧れたマスクマン、ミル・マスカラスの華麗なる業績。<Number Web> photograph by Moritsuna Kimura/AFLO

1970年代の1枚。ミル・マスカラスがザ・デストロイヤーに対して空中殺法を見舞っている。

興行の演出面に大きな革命。

 今では考えられないことだが、'70年代中ごろまでは入場時に音楽を流すという演出がなかった時代で、各レスラーは音楽なしで控室から出てきてリングに上がっていた。そんな中『スカイ・ハイ』のドラマチックなメロディに乗って入場するマスカラスが、プロレス興行における演出面でも革命を起こしたのだ。

 これは当時、日本テレビ『全日本プロレス中継』のディレクターだった梅垣進が、たまたまプライベートでディスコに行ったときに聴いた『スカイ・ハイ』を気に入り、マスカラスの来日を煽る次期シリーズ予告VTRのBGMとして流したのがきっかけ。

 すると放送終了後、日本テレビに「あれはなんという曲か?」という問い合わせが殺到するほどの反響があり、それを受けて'77年2月の全日本プロレス『エキサイトシリーズ』からマスカラスの入場時にも流し始めると、人気は一気に爆発した。

レコジャケがマスカラスに!

 このスカイ・ハイブームの影響はすさまじく、マスカラスは新たなファンを大量に獲得。『スカイ・ハイ』のシングル盤レコードのジャケットは、マスカラスの写真に差し替えられて57万枚を売り、オリコン最高位2位を獲得する大ヒットとなる。

 また、マスカラス自身も“夏男”として、毎年8月のシリーズに来日するようになると、夏休みシーズンということもあって、会場はどこも少年ファンで溢れかえるようになった。

 こうして入場テーマ曲『スカイ・ハイ』がきっかけで爆発したマスカラス人気は、'77年8月25日に田園コロシアムで行なわれたジャンボ鶴田戦で、その年の『プロレス大賞』年間最高試合賞を獲得し、頂点を迎える。

 そして、少年ファンたちが華麗なるマスクマンに憧れるという土壌は、その後、タイガーマスクブームを経て、現在まで繋がっているのだ。

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