ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
全国の少年が憧れたマスクマン、
ミル・マスカラスの華麗なる業績。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byMoritsuna Kimura/AFLO
posted2018/11/18 09:00
1970年代の1枚。ミル・マスカラスがザ・デストロイヤーに対して空中殺法を見舞っている。
毎試合違うマスクでアイドルに。
“マスカラス以前”の外国人レスラーといえば、ほとんどが悪どい反則やラフ殺法を使って、ジャイアント馬場やアントニオ猪木を痛めつけようとするヒールだった。
もちろん、外国人レスラーの中でも“鉄人”ルー・テーズのような正統派のテクニシャンも存在したが、彼らにしても日本のヒーローが倒すべき存在ではあった。
しかし、マスカラスは紳士然とした振る舞いのベビーフェイスであり、メキシコ先住民族の神話を元にしたきらびやかなコスチュームに、ボディビルで“ミスター・メキシコ”にも輝いた逆三角形の鍛え抜かれた上半身。
そして何より「千の顔を持つ男」という異名の由来でもある(「ミル・マスカラス」はスペイン語で「千の仮面」)、毎試合違う色とデザインを施したマスクは、プロレス少年たちの心を鷲づかみにして、日本のプロレス界で初めてのアイドル的な人気を誇るレスラーとなったのだ。
入場曲は『スカイ・ハイ』。
また、マスカラスはマスクマン(覆面レスラー)のイメージも根本から変えた。それまでのマスクマンは、“覆面”という言葉の響きからもわかるとおり、“カッコいい”というよりも、正体を隠すミステリアスで不気味な存在。そんなマスクマンに対する固定観念を、マスカラスは飛び抜けたビジュアルによって、完全に覆したのだ。
その後、日本のプロレス界には、タイガーマスクや獣神サンダー・ライガー、ウルティモ・ドラゴン、ザ・グレート・サスケなど、マスクマンのヒーローがたくさん生まれたが、そのルーツはすべてマスカラスにあったのである。
そして、ある意味でマスカラスの最大の功績は、プロレスの入場シーンにテーマ曲を定着させたことだろう。
日本における入場テーマ曲の元祖は、'74年に国際プロレスに来日したスーパースター・ビリー・グラハムだが、それを完全に定着させたのは、'77年からイギリスのポップバンド、ジグソーの『スカイ・ハイ』で入場し、人気が再び爆発したミル・マスカラスだ。